四百四病の外 8譲は微笑む。 「宇治さんの雑炊っていつも美味しいですから。」 最高級の食材で雑炊を作っているのだから美味しくない筈が無い。 普通なら生で食べられる毛蟹とか、とれたてのトマトとフランス直送のチーズでリゾットなど。 雑炊系が好きな譲の為のレパートリーは何十種類にも及び、本人は知らないがその中には一食辺り数千円分の食材を惜しみ無く使っているものもある。 「有難う御座います。今日はお手伝いしましょうか?」 主旨を抜いているのは譲が理解している事が前提だから。 「いえ、大丈夫です。今日はまだ調子がいいですから。」 そう言って譲は浴室に向かう。 夜遅くなると夜風に吹かれた為に足が痛くなる事がある。 そういう時は宇治が介添えをして手早く体を洗うのだ。 宇治は譲の細い背中を笑顔見送ってから浴室の扉が閉まる音を確認すると厳しい顔つきになる。 宇治の控え室として与えられている部屋から持ってきたのは携帯用の盗聴発見器。 譲が外出した際の服や小物等全て調べ上げるのだ。 既に浴室に入っている譲の着替えを持っていくと同時に着ていた服も調べ、片付ける。 それから工藤への報告書を書いて朝食の仕込み。 それらを終えた丁度その時、椎原が帰ってきた。 「お疲れ様でした。」 丁寧に頭を下げる宇治に頷き、椎原は開口一番 「譲は風呂か。」 訪ねる。 「はい。」 椎原は僅かに笑みを浮かべるとジャケットとネクタイをソファーに置いて去っていく。 向かう場所は言わずもがな。 当分浴室から上がってこないのは分かっていたのだが、10分程して単衣の譲を抱えてバスローブ姿の椎原が上がってきた。 「どうされましたか?」 「逆上せたらしい。」 顔の赤い譲に宇治は慌てて冷蔵庫から水を持ってくる。 ソファーに寝かしつけられた譲を腕に抱えていつもの状態で椎原が頭を片手で支えていた。 そうして宇治は口移しで飲ませている間にタオルと更に冷たい水を運ぶ。 水を飲まされている譲は髪がうなじに張り付き単衣は膝より上まで乱れており、とても、そう。 とても婀娜な姿だった。 「・・・会長。」 小さな声で呼ぶと振り向いた椎原に目線で裾を示す。 「ああ、ありがとう。」 水差しを受け取り飲ませ終えてからさりげなく裾を整え大判のタオルを掛ける姿は流石だといえよう。 そのさりげなさは過去を彷彿とさせるものだったが・・・。 「雅伸さん・・・。」 擦れた声で呼ぶ譲に椎原は甘い笑みを浮かべる。 「ん?」 顔を近づける椎原に譲はのぼせたとは思えない力で右手をバスローブに置き、掴んで引き寄せた。 唇が触れるか触れないかの位置に宇治は息を呑む。 「それ、何処で覚えてきたのですか?」 笑みを浮かべる譲に驚く椎原。 宇治はすっかり忘れていたが、譲は嫉妬深いのだ。 椎原もそれを理解しているのでそういう事にならないように重箱の隅をつつく勢いで気をつけていたのだが・・・。 「譲。」 「何処で覚えてきたのでしょうか。さっきの手つきは僕に対するものとは違いますよね?」 たとえ逆上せていても椎原が譲だけに見せる手つき動きを全て把握している譲に椎原の額に汗が現れた。 「しかも・・・最近?」 直感が恐ろしい程冴え渡る譲の繊手が椎原の頬を辿る。 目線を合わせて椎原が視線を逸らせない様に退路を断ちながら微笑む譲は美しい。 美しいのだが怖かった。 宇治は背中に汗が流れるのを覚えた後出来るだけ平静に聞こえるような声でゆっくりと言い放つ。 「では私はこれで失礼致します。」 「な、宇治っ」 「ええ。明日もお願いします。おやすみなさい。」 「おやすみなさいませ。」 椎原の退路は絶たれ、宇治は退路を確保してその夜は更けていく。 僅かに罪悪感はあったものの、宇治はあくまでも譲の秘書。 椎原には冥福を祈るのみで手助けはしないのであった。 前へ 次へ 創作目次へ |