愛し恋しと鳴く鳥は 5
謙は穏やかな面が表に出ているし、周りの人間もそう思っている。
実際、穏やかで笑顔が人を癒す存在であり、彼を悪く言う人は椎原へ思うところがあるか、同性愛に嫌悪感を持つ者ばかりである。
だがしかし、まがりなりにも謙は経営者であり、そして椎原の傍らに既に長年と言っても良いほど傍にいるのだ。ただの安穏とした柔らかな人物である筈がない。
牙を隠しているわけではないがただ日々を送っているだけではないだけなのだ。
「瑞樹さんも大変だと思いませんか?」
車の中で囁くように言う謙に椎原が目線を寄越す。
「そうか?」
「先日、僕が安藤さんのお店に行ったとき奥の席に瑞樹さんが居たのですが気づかれませんでした。何か考え事をされていたようで。」
声をかけないように安藤さんに頼んだのですけどね、と苦笑混じりに謙は言う。
椎原も苦笑しながら頷いた。
「あいつの昔からの癖だ。考え事に集中しているときは何も見えない。安藤がいたからというものあるのだろうが。」
「瑞樹さんも恩人と友人に挟まれて大変だなぁと思います。」
「それらすべて知ったうえであいつは全部抱えているのさ。」
椎原の言葉はやはり苦笑まじりで、謙はひとつ笑みを浮かべて流れる風景へと視線を移す。
先ほどの出来事を反芻しながら。
「馬鹿馬鹿しい。」
椎原の嘲笑に瑞樹に集中していた視線が一気に集まった。
「若輩者に任せようなどと、中村組長も呆けたか?」
傍若無人、無礼千万な言葉に、だが誰も何も言えない。
「自分は今手にあるもので精一杯です。後継にはふさわしい人がなるべきだろう。たとえ中村組長の意向に背いても。」
堂々とした態度で礼儀正しくしていた姿勢を変えて、足を組む。その態度で瑞樹の言った言葉を心底馬鹿馬鹿しいと思っているがありありと分かる。
「内容がそれだけなら帰らせていただく。自分は会合に来たのであって、老人の与太話を聞きに来たんじゃない。」
口元を片方だけ歪めるその顔は椎原が滅多に見せない表情だ。
「そんな話の為に時間を割くなら花見のひとつでもいきたいものですな。・・・ああ、ですが後継の話を馬鹿にしたわけじゃないですよ。組長が引退なさるなら相応しい後継の方をこの中から選ぶできでしょうからな。」
「・・・確かに。いくら中村組長が誰かを指名しようともこの会合のメンバー了承がなければなれる筈もない。」
「いっそ、伊藤元組長にでも頼みますか?」
冗談のような口調に皆が頷きそうになったが、引退した伊藤元組長は老齢と自身の体調不良を理由にした事もあり難しいだろう。だが他に猛者を率いる事が出来るようなカリスマ性があり実力もある者など実際にはいないに等しかった。
椎原は猛者を率いる事の出来る実力があり、カリスマ性があり、また自身が率いる会は合法的であり裏社会にいる必要がないのではと思われる程なのだがいかせんせん若すぎる。
だが実際、椎原を信望している者は多かった。
その事を知る会合のメンバーは自然と互いに目線があう。彼らとてこの地位についているのだ。実力と野心が無い筈がない。
突出しているものを潰せば残りの者で打算と計算と狸と狐の化かし合いをすればいいのである。
少なくともその人間がいなければ自身が上に立てる確率が高くなるのだから。
男達の目線が重なる。
「それは、まあ、中村組長が来た時にまた話せばいいだろうなぁ。」
ゆっくりとした口調で言うのは古参の幹部。
皆、思惑はどうであれそれに頷いた。
「では本来の話題に戻るとしましょう。」
その言葉を聞いた譲は落ち着いた動作で立ち上がり、一礼すると宇治に手を伸ばす。
宇治は黙って譲を抱え上げるとお付の男と共に退出した。
ドアが閉まると同時に始まっただろう会議に目線だけ向けると一言も口を聞かずに運ばれる。
とっておいた部屋に入るとソファーまで抱えていこうとする宇治を制してゆっくりとした足取りで歩く先はテーブルセット。
「宇治さん。工藤さんを呼んでください。」
その言葉に頷いて携帯電話を取り出しワンコール。
切ってから宇治はお茶の用意を始める。
まず先に玉露と生菓子を用意し、珈琲をセット。諸々の道具は事前に持ち込み済みだ。
宇治の携帯が鳴り、電話番号を確認した後頷いたのを見たドア近くに控えている男がのぞき穴を見てドアを開ける。
「お疲れ様です譲さん。」
3名の護衛を連れて入室した工藤に対し譲は笑顔で椅子に促す。
椅子に座っているのは譲が上だと示したいわけではなく、足が悪いのに立っているのは・・・等工藤がいつも言うからだ。
「工藤さんこそお疲れ様です。」
「荒川は使わせてもらいました。今事務所の方に詰めてもらっていますよ。」
座ると同時に珈琲とシフォンケーキが置かれる。譲の前には既にお茶と生菓子が置かれていた。
それをつまみながらどこか柔らかな雰囲気を醸し出して一口、また一口と譲は食べる。
「工藤さん。聞こえていましたか?」
首を傾げる仕草をしながら譲が懐から取り出したのは財布の根付。
じつは、盗聴器になっている。
「はい。まったく迷惑な話です。」
「そうですね。」
「対策は立てました。後は会長が戻られてから詳細をと思いまして。」
淡々とした口調で工藤は珈琲カップを空にした。
「でも、きっと雅伸さんは「任せる」と言うでしょう。」
「そうですね。」
互いの口から漏れたのは溜息。
「大きな親切、多大な迷惑。」
工藤の呟きに譲は微かに笑った。
前へ
次へ
創作目次へ
|