愛し恋しと鳴く鳥は 10



 



 それを背後聞きながら車に乗った譲の口元が自嘲で歪んでいる事に気付いた宇治は落ち着いた動作で荒川に車を出す様に指示を出す。

「宇治さん。」

「はい。」

「次の予定は?」

「明菜の所でマッサージを予約しています。」

「それは予定にあったこと?」

 問いに口を開いた宇治だったが、譲が言葉を止める。

「・・・・そんなに体に出ていますか?」

「いえ、ですが、最近マッサージを受けていないのでお疲れかと思いまして。」

 後部座席のシートに背中を預けて、小さな声でお礼を言う譲に宇治はいいえと言ってから車から外を眺めつつ眉を僅かに寄せた。

「会長はきっとうまくやりますよ。初めての事ではないのですし。」

「そう、でしょうか。」

「はい。会長は牙を隠した虎ですよ。・・・・一番ご存知なのではありませんか?」

 そうだね、と僅かに口元を綻ばせた様子に宇治も口元を綻ばせる。そうして次々と連絡を取り、譲に判断を仰ぐものは仰ぎ時間は瞬く間に過ぎていった。



 そうして翌日の夕刻。



「安藤です。ここではその名前を知る人が一名いますが、一応偽名を使いたいと思います。源氏名は何か決まっているのですか?」

 普段はきっちりと髪をまとめているのだが、今日は軽く流し、服装もそれに合わせたスーツとなっている。ドレスというのは冗談だったらしい。女性のショート程度の長さの髪と、軽く纏めた髪の後れ毛が悩ましい。そうしてその微笑。軽く笑っているのだがそれすらも滲む様な色気に溢れていた。美貌といって良い、顔の作りにその笑み。柔らかいが、確かに夜の住人だろうと思わせるものを纏っている。その手の類に弱い男には堪らないだろう。

「特には。」

 だがその色気に応じず、チーフは普段通りの声で答える。

「名前がヘファイスティオンだからそっち系のかと思いましたが・・・・ふふふっ。では、そうですねぇ。ナツ、なんてどうでしょうか?」

 もうすぐ夏ですし、との軽口には誰も答えない。

「それで良いのであればいいですよ。」

 譲とチーフ、安藤の和やかな会話と興味津々の面々。

 そうして研修、と称してやってきた他店のホスト3名。ゆったりとした作りのへファイスティオンでも一気に4人も増えれば控え室は狭く感じてしまうだろうとその場の数名が思った。

「ロッカーの鍵は各自保管をお願いします。鍵の付け忘れで紛失が起きた場合は自己責任としますが、その他の場合は考慮します。質問があれば私に尋ねてください。オーナーは多忙ですので何事も私にです。良いですね?」

「はい。」

 頷く面々はきらきらしく美しい。

 それでは、と簡単な手順を説明し、重要事項を伝えていく。

「へファイスティオンは売春はしません。強要する客がいれば直ぐに呼ぶように。アフターや同伴は大丈夫ですが、脅迫された場合も直ぐに連絡を。暴力も、情報漏洩も禁止ですので了解しておいてください。」

 以上、というと元々居る中堅のホスト達に彼等3人の世話を頼む。安藤はチーフ自らが案内し、簡単な説明をすると頷き、そうして安藤の存在を知るボーイを呼んで数分小声で会話した後互いに笑いあっている。まるで旧知の仲の様にだ。そうしてホスト達が待機場所に座りだすとボーイは譲とチーフの下へとやってきて笑顔を見せた。

「大丈夫そうか。」

「そうですね。あいつはあの人が関係しないとあまり凶悪にはならないと言っていたのでとりあえず大丈夫だと思います。とりあえずは。」

 譲は苦笑しつつ頷いて、宇治と共に隣室へと移動する。そこは店内全ての様子をカメラで監視できる場所だ。 

「宇治さんはどう思いますか?」

「・・・・・・捕食程度に思っているでしょうから、多少の被害は仕方ありませんがそれほど酷い事にはならないかと思います。」

「僕もそう思います。・・・・・短期で終わるといいのですが。」

「そうですね。それは安藤さんの腕次第といった所でしょう。」

「雅伸さんは何時ごろに?」

「一応9時頃になるとの事でした。」

 今は例の男と会食中ですと付け加えるとそう、と静かな声が返ってくる。開店と共にやってきた数名の客は常連なのだろう、お気に入りのホストと和やかに酒を飲んでいる。上質な店では上品にしていないと追い返されるからなのだが、そもそも性質の悪い客は滅多に来れないし、一見の客は断っているのであまり揉め事は少ない。だが、上流階級の男達が多いので交わされる会話は秘密が多く落とされる金も多い。情報漏洩の危険が無いと評判のこの店は密談でも多く使われていた。

 5名の内1名が常連客という団体が入ってくると既に殆どのホストが席についていたので安藤と研修に来た1名、そして中堅のホスト1名が席に着く。

 安藤の口角が上がり美しい笑みを浮かべるのを見て、初めての客が僅かに頬を染める。優しげな笑みに魅了されたのだろう。笑みに笑みを返してウィスキーを頼み、果物を頼み少しずつ会話が盛り上がっていく。

 彼等に優しい笑みを投げかけながら会話をする内容はとても充実しており、政治経済の奥底まで知っているのではと思わせる程。だからといってそれを広めるでもなく相手を立てていい気分にさせつつ興奮で声が大きくなりそうな男には美しい指先で唇を僅かに撫でてみせる。全てが上品でありながら巧みで隣に座るホスト達は懸命にその技を盗もうと笑みを浮かべつつも必死だ。

 触れるのは最小限。だが心を掴む会話は最大限に。

 それはもう素晴らしい技術であった。








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