四百四病の外 1





「良い天気ですね。」

「ああ、本当に花見日和だ。」

 和やかな声で会話をする二人だが、その光景は和やかでは無い。

 伊藤前組長の私有地とはいえ、その道の重鎮と経済力のある三和会の唯一無二の情人が花見をしているのだ。

 警護の数も半端では無い。

 二人が座っている緋毛氈と桜の木を取り囲むようにして直立不動の男達が囲んでいるその光景は一般人が見ればそら恐ろしい。

「伊藤さん、もう一献如何ですか?」

「譲さんは勧め上手だなぁ。」

「いえいえ、桜のせいですよ。」

 にも関わらず二人はそれを当たり前の様にして花見を楽しんでいる。

 彼等の日常生活が垣間見えるその姿だが、それを当たり前としているのは警護している側も同じこと。

 それどころか内心二人の会話に和んでいる。

「このお団子美味しいですね。何処のものですか?」

「京都老舗和菓子屋のものだよ。今日朝一で頼んで持ってこさせたのだ。美味かろう。」

「はい。とても。」

 関東風より京風の味を好む譲の為に態々京都の老舗料亭や和菓子屋に特別注文し、組の者に新幹線を使って花見の時間に間に合う様に持ってこさせた料理と菓子の数々は譲をとても喜ばせていた。

「食の細い譲さんがこんなに食べてくれるとこちらも嬉しくなるなぁ。」

 伊藤前組長は譲を孫の様に扱いとても可愛がってくれており、季節ごとにこうして風光明媚な場所で食事をしている。

「昭泰さんが用意してくださる料理はどれも美味しくてつい食べ過ぎてしまうほどです。」

 そうしてもう一献と酒を注げば伊藤前組長は満面の笑みで一気に飲み干した。

「そうか、そうか。」

 満開の桜の樹の下、二人だけの花見は賑やさより風情を楽しむ事を主としているために声も落ち着いたものとなっており、非日常的な雰囲気と和みを醸し出す。

 黒スーツ姿の数十名は直立不動のまま動くこと無く仕事を全うしており、無粋な事を言うものもいない。

「引退してからも何かと忙しくてな、こんな落ち着いた雰囲気を味わえるのは譲さんとだけだ。いまどきの女共はこういうものを好まないらしい。」

「そうなのですか?僕はこういうのが好きですけど。」

「静かだと落ち着かないと言ってな。正座も出来ぬし。」

「僕もですよ。」

 足が悪い譲の為に椅子とテーブルが用意されているが、それも一流の品である。

「だがこの雰囲気を解し、楽しむことが出来る。良い事だ。」

 桜が散る中小鳥が歌い、木々の囀りは春を謳歌し、漂う香りは人だけではなく様々な生き物の心を騒がせる。

 その中で目を瞑り、耳を傾け、心を開く事が出来る現代人は減っている気がする、と伊藤前組長は呟いた。

「私も昔はそうだったが、偶にはこういうものに心傾けるのも必要だろうて。」

 なあ、と譲に言うと肯定の笑みを返して散る桜に目を遣る。

「本当に、綺麗・・・。」

 うっとりとした、夢見心地の表情で桜を眺める譲は元の容姿云々では無く内面の美しさと感受性の高さが表に表れて本当に美しい。

 そんな譲を満足げに眺めていた伊藤前組長だったが、忙しない足音に眉間の皺が寄る。

「無粋な客が来たようだ。」

 譲が目線を遣ると其処には伊藤組組長、伊藤泰一が数人の部下と共に此方へ歩いて来ている所だった。

「此処には立ち入り禁止だといっておいた筈だが?」

 不愉快そうに息子に言う伊藤前組長に泰一は淡々と告げる。

「客だ。遠方からの友人だと言っていた。これを渡せば分かると言われたから持ってきたんだ。」

 渡したのは鼠の根付。

 可愛らしいと表現できるそれに譲が顔を綻ばせて伊藤前組長を見る。

「可愛い根付ですね?」

 だが伊藤前組長はその根付を黙ってみた後、ああ、と声を出した。

「いやぁ、あいつか!!!すまん、譲さん。昔なじみの友人が訪ねてきたからちょっと抜けてもいいかな?」

 譲は快く頷いて促す。

「今日はこれでお開きにしましょう。」

「すまんな。」

 言うが早いかという速度で足早に去っていく伊藤前組長を見送ってから譲は立ち上がる。だが、緋毛氈に躓いて体が傾いでしまった。

「あっ。」

 声を出すと同時に泰一が手を差し伸べて譲を支える。

「あ、有難うございます。」

 半年ほど前に少々いざこざがあったことからあまり好かれていないと思っている相手に支えられて驚いたものの髪を揺らして礼を言うと泰一は目線を向けてきた。

「いや。・・・気をつけろ。足が悪いのだろう?・・・・人の迷惑になる。」

 歩くにも不自由する上に長時間立ってはいられない足となってしまってから杖と介添えが必須となってしまっている譲は僅かに俯いて頷く。

「・・・ええ、そうですね。」

 足の怪我の事自体は後悔していないが、自分の足の事で人々を煩わせたり、椎原の心に影を落としてしまった事自体は悔やんでいるのであまり言われたくない言葉だった。  泰一が僅かに息を止める気配を感じたが、そちらに顔を向ける前に宇治が現れたのでそちらへと意識を移す。

「譲さん。」

「宇治さん、今日はもうお開きです。」

 春とはいえ、二時間以上外に居た譲を気遣って宇治は譲を抱える。

「あ、杖が・・・。」

 春になってから外出時には持ち歩くようにしている杖は装飾用に見えて実はとても実用的だ。本当は車椅子でも良いのだが荷物になるし、宇治か木戸がこうして抱えてくれる事が多いので今の所とランクで眠り続けている。

 今までも十分に厚遇されていたが、今は過保護と言っても過言では無い程周りが手助けしてくれる上に誘いが昨年よりも格段に増えたこともあってこんな風にお花見をするのも実は今春4回目となっていた。

「これか。」

 泰一が差し出したのは木製でも桜の木を使った漆の見た目も細工も美しい一品。 

 椎原が一年以上前から注文して作らせたものだった。なので譲はそれをとても大事にしている。

「ありがとうございます。」

「・・・いや。」

 それを受け取ってから軽く頭を下げると、宇治に抱えられて譲はその場を後にした。











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