割れた器



 

 片腕を失った岡本亮二は本家から離れた別荘で療養する事を岡本弘一は決め、術後2日で移動させた。

 軽井沢にある別荘はこじんまりとしていて落ち着ける空間なのだが、それを感じる事の出来る余裕の無い亮二は毎日ベッドの上から森林の眺めるだけの日々を過ごしていた。

 瑞樹から切り掛かられ腕を失った事もそうだろうが、何より、手術後朦朧とした意識の中ではっきりと聞いた自分への悪意を始めて知ったからでもある。





 花筏のスタッフ達は手術の終えた医師を労いながらバーベキューパーティーを離れの前で開いて騒いでいた。

 いくら何でも怪我人が居る中で不謹慎だろうと岡本弘一が注意すると、スタッフ達は首を傾げてこう言ったのだ。

「何故ですか?去り際にオーナーが絶対に手を出すなと言われたから何もしないだけで、私達は岡本亮二が死んで欲しいと思っている面々ですよ?瀕死を喜んで何が悪い。」

 その言葉は岡本亮二までしっかりと届いていたのだが、弘一はそれに気づかず僅かな沈黙の後、静かな声で言う。

「君達は亮二を恨んでいる人間ばかりなのか?」

「そうですよ。この店は岡本亮二さえいなければ潰れなかった料亭ですからね。素人の女の子を弄んだ挙句自殺したというのは此処の元女将の一人娘だったんですよ。将来有望で可愛い子で皆、彼女が若女将となるのを楽しみにしていたのに強引にものにした挙句あんな死に方をして・・・。女将は岡本亮二のせいだとも知らずに金を積んで頼みに行ったんだよ。その原因の元へ。金だけ取られて知らないと言われたと泣いていたね。女将は。」

 答えたのは医師。

「そうして誘拐した犯人達から権利書とお嬢さんを交換だと言われて女将はそれに応じた。ぼろぼろになって帰ってきたお嬢さんは一ヶ月も経たずに死んでしまいましたけどね。」

 仲居の一人が続きを話す。

「上が腐っていると下も腐っている。岡本亮二と付き合って捨てられた女や関係者は皆その下の人間によってもボロボロにされているんですよ?知りませんでしたか?しかも素人ばかり。オーナーはその人達を中村さん、椎原さんと一緒になって救い出そうとしてはいますが、手遅れな人も多い。」

 息を飲む岡本弘一。

「そういう人間がオーナーの下に多い。総括しているのは安藤さんですが、皆オーナーを恩義を感じ、慕っているのですよ。」

「知らなかったでは済まされない事でしょう。私は何度も暗喩したのだから。」

 他のスタッフに眉をしかめられつつも七輪で松茸と神戸牛、秋刀魚を焼いていた中村が立ち上がり一言静かに言った。

「組長。」

 岡本弘一をそう呼んで中村は箸を片手に傍に行く。

「岡本亮二配下の者達を私と椎原に一任させてもらえないか。」

 その先の事など言わずとも知れた事。

 だが岡本弘一は頷いた。

「わかりました。おふた方、いえ、中村さんと椎原さん、それと瀬戸瑞樹に一任しましょう。それと亮二の身柄も。」

「それはいい。彼を動かせば私達が動いた事が公になるでしょう。そうすれば戦争が始まるかもしれない。それは避けたい。だから瑞樹も殺さなかったのだから。

「・・・・・他の組長も亮二の事を知っていたという事、ですか。」

「まだ仁義を捨てていない者も居る、という事です。流石に誰かまでは言えませんが。」

「私は代行を辞した方がいいか。」

「貴方にはまだ人望があり、その立場に相応しい血筋もある。無駄な争いを避ける為には貴方は其処に居るべきだ。」

 憎悪に包まれた中で弟と共に上に立て、と暗に言う中村に岡本は光を失わない瞳で見つめ返す。

 裏の社会に生まれなければ、あんな親を持たなければ、愚弟を持たなければ、表の社会で成功していただろう、光の下が似合う男は僅かに頷いた。

 どんなに恨んでも願ってもその立場生まれ育ちが変わることは無いのだから。

「わかりました。それと弟とその部下が堕とした人達の事は私が引き受けましょう。」

「断ります。彼等や彼女達も貴方達に助けられたくはないでしょうから。瑞樹が手助けする事に意味があるのですよ。自業自得の者達は放っておきますが、瑞樹と彼等は同じなのですから。」

 目の前に立ち上がった人間が居るのと居ないのでは大差だ。

 奈落の底に居てなお美しさを失わない瑞樹を見て、希望を持つものも居るという事なのだろう。

「まあ、私達も慈善事業でしている訳ではありませんから就職先の斡旋をしているようなものです。ただ、岡本亮二さんの監視は頼みます。」

「亮二は若頭から外しましょう。そうしてこれからは表に出しません。」

「その方が良いでしょう。」

 それだけ言うと、新たに呼んだ部下に岡本亮二を運ばせた。





 その事を思い出しながら今日も外を見る。

 自分がこのまま死ぬまで此処に軟禁状態される事も知っていた。

 移動する前に本家の離れに居たのだが、其処では兄の弘一が大事にしている優が亮二の姿を見てとても嬉しそうに微笑んで傷口に触れていたのを思い出す。

 確か彼は抗争に巻き込まれたと聞いている。

 自分を含めて岡本の人間は大勢の人々から憎まれているのだと始めて気付いた。

 その事実に打ちのめされている。

 心が弱ると体の治りも遅くなるのか、傷の直りが遅いと医師が言っていた。

 あれから食欲も無く、体も驚く程痩せ細っている。

 だが、このまま衰弱していくのも良いかもしれないと思う。

 自分が過去に多くの人を踏み台にしてそれに気付きもしなかった事実を夜、夢に見る。

 その中で過去の瑞樹が自分を見ているという夢も見るのだ。

 ただ、此方を黙って見続ける。そうして何の感慨も無くただ去っていく。

 それだけなのだが、どんな悪夢を見るより堪えた。

「瑞樹。」

 久しぶりに出した声は掠れてひび割れている。

「瑞樹。」

 過去は馬鹿にする様な声で呼んだ名前を、今は求めるように呼ぶ。

 最後に見た、自分を切りつける姿は美しく神々しかった。

 そうして亮二を過去の者として見切りをつけて後ろの人物を見たのだ。

 過去が自分で未来が瑞樹の傍に居る者達なのだろうか。

 今の自分には知る術は無いが、分かる事は唯一つ。

 瑞樹の未来に自分は居ない。ただそれだけだ。

 今まで手駒の一つの様に扱っていた相手が、慕われていると知っていたからか。

 それとも見切りをつけられたからか。

 世話をする者は一人だが、その者も淡々と作業をするだけで、何か話すわけでもない。

 亮二自身が話さないからでもあるからだろうが、その事が益々孤独にしている。

 窓からの風景は僅かずつだが変化していった。

 寒々しく思える木々が少しずつ芽を出し葉をつけ青々と茂り。

 ひたすら外の風景を眺める毎日。

 ふと、腕を見ると自分のものとは思えない程細いものとなっていた。

 もう片方は当然、無い。

 虚ろな目をして見る亮二は既に半分彼岸の住人だという事に本人は気付いていなかった。    


 
 


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