恒例行事「女性が男性にチョコレートを上げるという習慣があるのは日本だけだって知っていますか?」 夜、ボレロの二階自室バスルームで安藤が髪を洗うのを半分夢うつつになりながら任せていた瑞樹はその言葉に閉じていた目を開ける。 「ん?ああ。普通は男が女に、あと友人同士に送るんだろう?」 「それを今日偶々呑みに来ていた譲さんに教えたら直ぐに帰ってしまったんですよ。」 「椎原に何かプレゼントを買う為だろうな。でも間に合ったのか?」 「さあ?」 現在2月14日午後11時34分。 店の開店は9時。 デパートは閉まっていただろう。 ちなみに瑞樹はダンボール2箱分程、行列が出来る専門店やデパートの袋に入ったチョコレートを貰っている。 瑞樹の一年間のチョコレート消費量は半端では無いので全く問題ない。 それを知っているスタッフ達も美味しいものを各々が用意してくれるので、一年の中で一番好きな日かもしれないと内心思っていた。 2月に入ったら瑞樹は喜々として毎日デパート巡りをし、毎回万単位の買い物をするのだがそれでもホワイトデーには自分で購入したものも貰ったものも消費されている。 ちなみに本日行ったデパートでの合計金額は3万円也。 その他に某有名ショコラティエの作った限定ケーキも注文している。明日届く予定だが、恐らく午前中には消えているだろう。 「ああ、そういえば全員分のお返しを考えないとな。」 「明日届くケーキが美味しかったら其処に纏めて注文したら良いと思いますよ。」 「そうだな〜。」 氷の入ったボールに小さなボールを浮かべ、その中に入っているのは当然チョコレート。 手の届く場所に置かれたそれを摘んで口に入れると解ける甘さと苦味が口の中に広がる。 「ん〜。和菓子の老舗が作った生チョコは美味しい。」 抹茶の苦さとチョコレート、それと上質な砂糖が使われたそれは瑞樹の大のお気に入りだ。 「どうしてバレンタイン限定なのでしょうね。」 通常販売しているなら取り寄せようがあるものを、と瑞樹至上主義の安藤が溜息を吐く。 「でも一年に一度の楽しみと思えばそれはそれで。」 一度では無く、期間限定の間箱単位で購入し、チョコレート用の冷蔵庫に保管しているのだが。 それでもチョコレートというのは本来生ものなので保存にも限度があるのだ。 「今度チョコレート風呂してみますか?」 「チョコは食べるもの。」 断言する瑞樹に安藤は小さく笑いながら髪を丁寧に優しく洗い続ける。 「甘いチョコレートは生チョコしか買わないのですね。」 貰うチョコレートは様々で、どれも全て食べるのだが自身で購入するチョコレートはビターばかりだ。 「カカオ98%のベネズエラは美味しかったなぁ。やっぱりベネズエラが一番だよ。あれで粉っぽくないなら尚良し。」 もう一粒含み、口の中で蕩ける様を楽しみながら呟くと安藤も頷く。 「ではまた頼んでおきますよ。」 「宜しく。」 「はい。」 洗い終えた髪の水分を拭ってからヘアパックに移る。 「瑞樹。」 「何。」 「これは私からです。」 ベルベットのリボンが掛かった箱を受け取り中を開けるとそこには縦横3cmのチョコレートがびっしりと入っていた。 「有難う。」 頬を高潮させ、グラスの水を飲んでからそのチョコレートを口に入れる。 「・・・あ、これ。」 「98%のベネズエラチョコレートです。」 頭は固定された状態なので目線を上げて安藤を見た。 安藤は笑顔で瑞樹が持っている箱から一枚摘んで瑞樹の口に入れる。 「美味しいですか?」 口の中で味わってから満面の笑みを見せた。 「うん。こんなに美味しいのに粉っぽくないチョコレートは始めかもしれない。」 ココアのパーセンテージが上がるとどうしても粉っぽくなるものなのか、そういうのが多いにもかかわらず、これは苦くて甘くないのに滑らかな口ざわりだった。 「では来年もこれを用意しますね。」 「出来れば常にあると嬉しい。」 真剣な表情で言うと安藤は苦笑する。 「・・・・・それはちょっと・・・。」 「何で。」 「いくら私でもフランスまで往復していてはいくら時間があっても足りません。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・フランス、住むか。オーウェル家に頼んだらカード(労働ビザ又は国籍)も発行してくれるだろうし。」 「瑞樹が良いのならそれでいいですよ。」 「でもフランスには美味しい和食が無い。」 「残念ですねぇ。」 ヘアパックした髪を纏め終えると今度は爪の手入れに入る。 「それに温泉が無い。」 「困りますよね。」 傍らに置かれたチョコレートを一枚とって瑞樹の口に入れてからやすりを使う。 「ところで瑞樹、私へはチョコレート無いのですか?」 「あれ。」 指差したのは大きな花瓶に溢れるほどの海宇。 「本来なら親しい人には本や花束を贈るものだからな。」 目を瞑った瑞樹は安藤が心から笑むのを感じる。 「有難う御座います。」 「どうも。」 「中村氏には何か送ったのですか?」 「いや、あの人は日本の習慣しか知らないと思うし、男から貰うのは嫌だろうと思って。」 「もしかして、一度も上げた事無い、とか・・・。」 「うん。」 爪の手入れを終えた安藤は手を洗ってから腕と肩をマッサージし始める。 それを気持ち良いと安藤に伝える瑞樹の顔は言葉通りの表情をしていた。 「そしてホワイトデーは貰っている、とか?」 「いや。」 「・・・・・そうですか。」 髪を水で濯ぎ、水分をタオルでふき取り、立ち上がった瑞樹の体にバスローブを掛ける。 寝室に移動してからソファに座った瑞樹の後ろに立ち、ドライヤーで髪を乾かしていると寝息が聞こえてきた。 乾かし終えてドライヤーを戻してくると寝台の掛け布団を捲り、瑞樹を抱えて寝かしつける。 それは既に習慣となって久しい行動。 自分の傍ではこんな風に寝てくれる瑞樹が嬉しい、と安藤はいつも思う。 「お休みなさい瑞樹。来年もチョコレートを送らせて下さいね。」 眠る瑞樹に囁いて、安藤は隣室にある自室へと引き上げた。 創作目次へ |