全てはこの為に 1





 亨と豊は二人で一つの部屋で待っていた。

「おばさん、遅いねぇ。」

「うん、いつもは母さんもっと早いのに。」

 家事の諸々を二人で協力して終えると家の中にたった一つあるテーブルで二人仲良く勉強するのが日課。

 ノートと筆記用具を出来るだけ無駄にしないように何でも口に出して暗記するのが二人の勉強方法だった。

 亨の母を二人で待つのはいつもの事。

 豊の実母は豊を置いて去っていったから。

 だから豊は実の母以上に亨と同等に愛情を注いでくれる亨の母を心の其処から愛していた。

 そして亨の事も。

 亨の母は自分の事を好きに呼んでほしいと言っていたが、微かにでも実母を母と認めていたので呼べずにいた。

 だがそれでも気持ちは母と思っていて。

 それを知っている八重子はいつも微笑んでくれる女神の様な存在だ。

 豊にとっても亨にとっても。

 豊は八重子と容貌が瓜二つだ。たった一つの違いは豊の片方の瞳が藍色だという事だけ。

 だがその纏う雰囲気は違う。

 元は良い家柄のお嬢様だったことを思わせる品の良い言葉遣いと細い身体。

 そして八重子自身の数少ない持ち物は時代や重厚さを思わせるものが殆どだった。

 教えてくれる勉強もかなりレベルの高いもの。

 だが八重子は何も語らない。

 二人も何も聞かない。

 暗黙の了解であったのだが、八重子が教えたことを努力して覚えるととても喜んでくれたので二人の成績は学校の中でトップ。

 それを八重子はとても自慢にし、ふたりはそんな八重子が自慢だった。

 親子三人、寄り添って暮らしていく日常は貧しくても、どんな事があっても幸せなもので。

 安アパートの階段の音に二人は宿題をしていた手を止めた。

「あ、帰ってきたのかな?」

 それにしては妙に慌しい足音に二人は妙な不安に駆られる。

 手元にあった教科書は近所のおばさんから貰ったお下がり。

 二人で使っているそれを大切に片付けてから扉が開くのを待つ。

 靴の音が慌てていると分かる足音を立ててアパートの前に立ち、荒々しい音を立てて叩かれる。

「大変だよっ!!!八重子ちゃんがっ!」

 扉を叩く音が世界の崩れる音だった。



 そして始まりの音でもあったのだ。





 15年後。





 成田空港到着ロビーに足を踏み入れた亨は目の前に立つ細身の男に駆け寄った。

「豊っ!」

「亨!」

 しっかりと抱き合った二人は互いの顔を記憶する様に見る。

「高くなったなぁ。」

 豊は白い腕を亨の頭部に当てると嬉しげに目を細めて見遣った。

「そっちは止まってしまったみたいだな。」

 3年前と変わらない身長に亨は苦笑する。

 此処は国際空港の到着ロビー。

 感動の再開の場面など日に数回は見られる所。

 だから男同士である二人の抱擁も然程目立たなかった。

 美貌の二人だから多少は目立ったが。

 とりあえず、と豊が亨の荷物を持とうとするがそれを手で制して自分で持って歩き出す。

 亨は男らしい容貌に服の下からでも分かる体格の良さで女性の目を引き、豊は細身の身体と大人しいが白皙の美貌で男女の視線を引く。

 だがそんな事は今の二人には関係ない。

 駐車場に行くと瞳の大きさが特徴的なだが無表情な為に魅力が半減している紺のスーツ姿の男が待っていた。

「お疲れ様です。本家までご案内させて頂く桂多可人と申します。」

 一礼する桂に亨は悠然と頷いてから宜しくと言う。

 桂はトランクを開けて荷物を入れるのを手伝ってから後部座席の扉を開ける。

「このまま行くのですか?」

 亨が尋ねると無表情の男は頷く。

「はい。そのように伺っております。」

 豊と目を合わせて肩を竦めると黙って車に乗り込む。

 走り出した車はさすが高級車。

 乗り心地が違う。

「ねえ、こんなに長期間こっちに居て会社は大丈夫なの?」

 豊が買っておいたお茶とおにぎりを渡すと亨はそれを食べながら頷く。

「ああ。問題ないよ。売ったから。」

「売ったぁ?!」

「誰かに任せて乗っ取られるましだし、高値で売れたからね。そのお金で新しい会社を設立中。だから今俺お金持ちなんだよ。」

 何か買ってあげようか?とからかう亨に豊は笑って、じゃあモナコに家を買ってとふざけ返す。

「や、本当にそういうの買う程度のお金持ってるんだよ?」

 相手にしない豊に亨が苦笑して言うが、相手にされない。

「そんなお金持っているならこんな呼び出しに応じる筈が無いだろう?」

「そりゃそうだ。」

 答えて笑う亨に豊は全く日に当たっていないのが明白な白い肌を亨の肌と比べる。

「ねえ、どうしたらこんな風に焼ける?」

「工事現場で上半身裸になって働くと焼けるよ。」

 窓からみえる風景を見ながら笑顔で言うと豊の眉間に皺が寄った。

「・・・それ嘘でしょう。」

 真剣に聞いていた豊は軽い言葉に溜息を吐くしかない。

「嘘だよ。ごめん。本当は遊びと称しての取引と接待で焼けたんだ。」

「ああ、ボート持ってるんだって言ってたもんな。」

 二人の軽口をミラー越しに観察しながら桂は口を開いた。

「本家の皆様と弁護士の方が居られますので滞在時間は2,3時間かと思われます。当面の住まいはいかがなさいますか?一応一条家所有のマンションは押さえておりますが。」

 すると亨は首を横に振る。

「部屋は手配済みだから大丈夫。わざわざありがとう。」

「・・・いえ。それと推薦された料理人、ご要望通り本家勤めとなりました。」

 桂の言葉に亨は大げさな程満面の笑みを浮かべた。

「そうかっ。ありがとう。彼は私の命の恩人だから働きやすい環境で働いて欲しかったのだよ。豊にも話しただろう?彼がいないと飢え死にしていたっていう料理人のおやじさんの事を。」

 嬉々として豊に話掛ける姿に嘘は無い。

「ああ、あの人だったの?いきなり桂さんに話を通しておいてっていうからどんな人だと思っていたけど。そっかぁ。じゃあ僕からもお礼言っておかないと。」

 和やかな会話は二人が互いを支えあって生きてきた事を安易に伺わせる。

 亨は豊の左側にある傷を撫でながら微笑む。

「これから暫くは一緒に居られるな。」

「そうだね。」

「いっそ、アメリカの会社に勤めればいいのに。」

「英語が苦手だから無理だよ。」

 軽口の応酬は子気味良い程。

 何か野望を持ってこの場に居るようには見えなかった。

 













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