愛おしい人番外編 『湯の温もり 人の温もり』 前編







 済まなさそうな椎原の声に譲は首を横に振って、嬉しげにゆっくりと部屋の中を進む。

「凄いですよ、とても眺めが良いんです。」

 頬を赤らめて展望風呂から外を眺める譲ははしゃいでいた。

 乳白色の硫黄泉はいかにも温泉という匂いを発してる割にはそこまで濃くは無く、程よい。

 温泉の気分を味わいつつも咽る程ではないそれは疲れた人に丁度良い加減だった。

 両隣は連れの者達が泊まっている事もあり、何かあっても大丈夫な様になっているから心配もせずに済む。

「譲さん、先にお茶でも飲まれてください。」

 一応譲と椎原が好んで飲む物を持ってきてはいるが、とりあえずは此処に置かれてあるお茶を出された。

 お茶受けも共に出されたが、宇治は千歳空港の到着ロビーでお茶請けを購入済みなのでそれも共に出す。周りにも旅館が多く、土産物屋もあるのでそういった心配は必要ないようだ。

 あとは譲と椎原が部屋で休んでいる時昼食を買い求める場合と、散策に出る場合の道確認が宇治以外の男達の仕事である。

 といっても北海道は観光できるような場所は一箇所一箇所が離れているのでハイヤーを使わなければならない。特に譲は足が悪いのだから、極力歩かなくても良いようにするのが彼等の仕事の一つであり。

「観光はされますか?」

 するとお茶を飲んでいた譲は笑顔で宇治に湯呑を差し出しながら尋ねる。

「終わりましたか?」

「いえ、まだのようです。」

 差し出された湯呑を洗って、今度は譲が気に入っている茶葉でお茶を淹れてから差し出す。

「有難う。」

「いえ、会長もお茶を換えられますか?」

「いや、俺はこれでいい。・・・これは結構美味しいな。」

 何の変哲も無い、温泉がある場所なら大抵あるような茶菓子だったがどうしてか矢鱈と美味しいと椎原は呟く。

「そう、ですか?僕はそうでも。」

 すると食べかけの半分を譲の口に入れて、譲の食べかけを椎原が食べる。

「・・・あ、おいしい。」

「だろう?」

 椎原が食べていたのはチーズ饅頭、譲が食べていたのは練餡の饅頭だった。

「フロントで聞けば売っているかと思いますので買ってきましょうか?」

「そうだな、ああ、こっちだけにしてくれ。」

「はい。」

 そんな会話を終えて、宇治は二人の荷物を手早く片付け、洗面台には普段使いされているものを並べると退室していく。

「譲。」

「はい。」

 テレビをつけず、部屋の中二人でいると特別室という事もあり静かになる。

 二間続きの和洋室と2つのダブルベッド、入り口からみて一番奥まった場所にある展望風呂。

 個人用なので流石に広いとは言い難かったが、銃創のある椎原と全身傷だらけの譲は元々公衆と名の付く風呂には入らない。

 時折時間制限付きの貸切風呂や旅館ごと貸しきった風呂に入るのみで、それで満足している所もあった。

 湯煙漂う外を眺めながら椎原は譲の隣に回ってくると抱える様にして座り込みお茶を飲ませてもらう。

「ああ、こっちの方が美味しいな。」

「でしょう?宇治さんに淹れてもらえば良かったのですよ。僕が淹れましょうか?」

「いや、こうして飲ませてもらえるからそれでいいだろう。あいつらも多少は休ませないとな。」

 湯呑からより口移しで飲ませているとお茶はあっという間になくなってしまった。

「風呂にでも入るか。浴衣はあるんだろう?」

「はい。用意してありますよ。」

 譲を軽々と抱えると湯船の手前に行き、脱衣所となっている場所で互いの着ているものを落としていく。

 共に暮らしだして悠に5年は過ぎているというのにその裸体を見て譲は甘い溜息を吐いた。

「どうした。」

 からかい混じりの声に微笑みで首を振り、正直に答える。

「やっぱり綺麗だな、と思ったので。」

「俺はお前のほうが綺麗だと思うがな。」

 全身傷だらけの上に両膝には醜い後がしっかりと残っている体を綺麗だと言うのは椎原だけだ。

 譲は頬を染めて目線を逸らすと自分の足で展望風呂に行こうと足を踏み出す。

 だがその足が地に着く前にやはり軽々と抱えあげられる。

「俺の楽しみを奪うな。」

 とりあえず体をざっと流し合い、湯船に浸かると二人揃って溜息を吐く。

 温泉につかって溜息を吐くのはよくある事だ。

「気持ちがいいですね〜。」

「そうだな。疲れを取るにちょうどいいそうだぞ。」

 外にも傷に良い温泉も近くの旅館にあったのだが、警備面と部屋に風呂が付いていない事で却下されている。







 二人でお湯に浸かっていると取り留めの無いことを話したり、キスをしたりとどうしても長風呂になってしまう。

 なので、大抵の場合宇治が入ってきてそろそろ・・・と声を掛けてくれるのだが、赤面される様な場面に出くわす事も度々。

 そして今回もそうだった。

「会長、譲さん。そろそろ上がられた方が・・。」

 艶めかしい声が漏れてくる。

 この部屋の展望風呂はガラス張りであるからして譲の姿はまるみえだ。多少湯煙があるからと思われるが、逆にその見えるか見えないかの所が欲をそそる。

 常日頃から忍耐を強いられている宇治でなければ鼻血を出していたことだろう。

「あっ、っん、雅伸さ、ん。」

 譲は半ば忘我の域なので聞こえていない。

「ああ、分かった。」

 椎原は宇治に手を振ると直ぐにバスタオルを差し出す。

 裸体であっても照れもしない椎原は譲をバスタオルで包むとベッドに降ろして宇治を退室させた。

 ・・・・・既に5年は経過しているというのにこんな風に仲が良いのは良い事なのだが、宇治にはたまらない。

 退室した後廊下で鼻血を出していた。

 哀れ宇治。

 だがそんな事は部屋の中に居る二人は知らない。

 室温のしっかり高い部屋の中でタオルに包まれただけの譲と腰にタオルを巻いただけの椎原は蜜月ですかと聞きたくなる雰囲気を撒き散らしている。

「雅伸さん。」

「ん?」

 もう一枚タオルを持ってきて髪の水分を拭ったり、細かな所の水分を拭うためにタオルを当てたりと嬉々として動く椎原のされるがままになっている譲は小さく呼ぶ。

「あの、」

「・・・ああ、下の土産物屋行ってみたいか。そうだな行こうか。」

「はい。」

 生え際にキスをしてから病人看護の経験も無いのに椎原は譲に早業かつ丁寧な作業で浴衣を着せると自らも浴衣を纏いつつ内線で呼び出す。

「下に行く。」

 それだけで電話を切ると譲の視線を感じて椎原は振り返った。

「どうした?」

「雅伸さん、格好いいです・・・。」

 頬を赤らめて見惚れる譲にお前も綺麗だよ、と言ってから再びキス。

 だが確かに上背があり尚且つすばらしく実用的な筋肉のついた椎原はスーツも浴衣もなんでもござれな体で、あったので欲目とは言えない。

 そうして普段から着物を着慣れている譲は浴衣もやはり似合っている。

 筋肉質な人にも細身のヒトにも似合うのが着物というものであるのだが、やはり似合う人には似合うし、似合わない人には似合わないものなのだ。

「お前はどちらかというと撫肩だから襟が抜けやすいな。」

「そうですね。もう少し厚みのある体だったら良かったのにと思います。」

 苦笑しつつも心底そう思っているので若干俯いた譲に椎原ははっきりと言う。

「そうか?だが似合っているし、お前は俺の自慢だからそのままでいいじゃないか。」

「・・・・そうですか?」

 椎原の一言にまんざらでもない声をだした譲は自ら手を垂直に伸ばし、椎原は機嫌良く笑ってその腕を首に回させてから軽々と抱き上げる。

「・・・お待たせいたしました。」

 現れた2人の部下に頷いてから部屋を出てからエレベーターを使って下に降りた。

 まだ人の多い時間帯では無いのでまばらな土産物屋に、譲を抱えたまま若干強面の男を引き連れて現れた椎原に売り子は僅かに目を見張ったが、一応は笑顔を浮かべて歓迎する。

「雅伸さん、歩いて見たいです。」

「わかった。」

 ゆっくりと丁寧に足を下ろされてから歩きだす譲はやはり見物しているにしてもその足の引き摺り具合で誰が見ても足の不自由がわかるものだったが此処には同情や好奇の目線は無かったので思う存分楽しんで冷やかしをした。

「あ、これ面白いですよ。とうもろこし饅頭。」

「・・・美味しいのか?」

「・・・冒険する気は無いです。これ買って見てもいいですか?」

「ああ。」

「北海道だからか、温泉に行くとあるものが無いのが面白いですね。」

「どれの事だ?」

「漬物が見ないです。」

 言われてみて確かに無い事に気付いた椎原が感心して頷く。

「確かに。食べたいのか?」

「いえ、珍しいと思って。あ、さけとばがありますよ。これ食べましょう?」

「そうだな。俺も食べたい。」

 外にチョコレートの菓子とホタテを干したもの等を購入してからそれらを部屋に持ち帰り、定位置(椎原が譲を膝に抱えている状態)で食べながら見るのはガイドブック。

「割と近いからな・・・明日は小樽にでも行くか。」

 といっても時間がかかるので小樽にいる時間自体は短いかもなと椎原が言うと譲は一瞬喜ばしげな顔を見せるが思案顔になる。

「え、でも色々と大変でしょう?僕は満足していますから、このまま部屋に・・・。」

「俺はお前と一緒に旅行してもあまり外に出られないからな。だが此処なら多少は大丈夫だろう。さて、夕食は早めにしてもらっているから食べに行くか。」

 強面の少ない三和会といえども威嚇用に若干強面の者を連れてきたので多少は一般人に遠慮しなければならない。だから早めにしてもらい、あまり顔合わしないでよいようにしていた。

「はい。」 

「寒くないか?」

 降雪量が関東とは桁違いの北海道で心配なのは譲の足が痛む事である。

 北海道の者達とは三和会が個人的に友好関係を築いているので安全だと思って選んだのだが、やはり暖かい所にしたほうが良かったかと内心椎原が思っていると譲は首を振って微笑む。

「大丈夫です。館内も広いのにしっかりと暖房が効いているし、スタッフの方も気配りの出来る人が多いみたいですから。」

 椎原に抱えられて夕食の場に行くと、個室になっており、其処は他より気温が高めに設定されている。

 座布団も大目にあり、それを使いながら二人で料理を待つ。

 傍らに2人が控えており、彼等は譲達の食後交代で夕食を摂る予定だ。

 運ばれてきた料理は和え物刺身、鍋物等々で、譲は刺身と野菜の美味しさに顔を綻ばせた。

 食事を終えるとゆっくりとした足取りで部屋へと戻る。

「雅伸さん、お風呂入ってきたらどうですか?」

 10人程が詰ったエレベーターの中、護衛を連れてなら問題ないだろうと譲が促すと椎原は首を横に振った。

「お前は入れないだろう?共にでないと楽しくないからな。」

 全身傷痕だらけの譲は衆目の中肌を晒す事はない。

 湯治にはよく行くが、時間制貸切か部屋に風呂が付いている所しか利用しないのだ。

 椎原自身は特に温泉が好きというわけではないのだが、旅行をするときはどうしても温泉は外せないものとなっている。

「それより部屋の風呂に入ればいい。大分暗くなったから夜景を眺めながら酒を傾けるのもいいだろう?」

 椎原の言葉に笑顔で頷くと、椎原は譲の頬にキスをした。

「ま、雅伸さん、人がっ・・・・。」

 三和会の者達だけでは無く、一般客も居る中でも椎原は堂々と慌てる譲の首下に顔を埋める。

「譲、首の根元まで赤いぞ?」

 言いながらその根元から耳の傍まで舐め上げて耳を齧ると小さく悲鳴が上がった。

 女性特有の黄色い声に益々頬を赤らめる譲を目を細め、口角を上げて見遣った椎原は今度は唇同士を深く重ねて周りの興を煽る。

 若輩層の男女ばかりだったこともあって、視線を強く感じる譲は居た堪れなく思いながらも条件反射の様にキスに溺れてしまう。

「あ・・・・。」

 堪えていても漏れる艶声と色香を流す譲に周りの面々どころか三和会の者まで顔を赤らめる有様。

 扉が開いても誰も出て行く事無くそのキスに周りが同様する事数分。

 椎原が譲を解放すると同時に扉が開く。

 そうして呆けている人々をそのままに譲の背中と膝に手を当てて抱え、颯爽とした足取りでエレベーターから出た。

「失礼した。」

 扉が閉まる瞬間そう言って女性陣に黄色い悲鳴を上げさせたのだが、その声は届かない。

 椎原の目線と心は譲に向いていた。

 部屋に戻ると濡れた瞳をした譲をベッドに寝かせてキスをする。

 こんな時にすることは一つ。

「風呂で夜景を見るのは、もう少し先でいいだろう?」

 艶やかに笑う椎原を見て眉間に眉を寄せた譲だったが、ゆっくりと頷いた。





 結局譲はその日、二回目の温泉に入る事は出来なかった。

 それどころか小樽にも行けなかった。

 理由は押して図るべきだろう。

 だから日常生活に戻って工藤に聞かれた時は顔を赤くして慌てた。

「今回の旅行はどうでしたか?」

「え?」

「何処に行ったのです?温泉は合いましたか?」

 元々火照っていると言っても過言では無い体からは冷や汗が流れる。

「え・・・・あ、あの・・・・温泉は・・・・・・・・良かったです。」

 最後の方は小さくか細い声で答える譲を不審に思った工藤は、だが、突っ込んで聞けば譲が恥ずかしい思いをする類の事だろうと思いその場は別の話題を提供してお茶を濁す。

 そうして事務所に戻ってから今回の旅行に随従した者を呼び出して詳細を聞く。

 ビジネスライクな口調で報告した男を帰してから佐々木を呼び出した。

「どうした?」

 譲が持ってきたお土産の六花亭のチョコレートの箱の一つを渡しながら工藤は溜息を吐く。

「譲さんからです。」

 貰ったチョコを早速開けて一つ食べる姿を見ながら先程の報告を口元を歪めて言う。 「今回の旅行、何処にも出掛けなかったそうですよ。」

「は?何で。」

「それどころか夜景も堪能できなかったようです。」

 せっかく景色の良い所を選んだのに、と溜息を吐く工藤の僅かに苛立たしげな様子に佐々木が好色を滲ませて笑った。

「ほぉ〜。会長もやるねぇ。」

「疲れを癒す為の旅行だったのに増やしてどうするんですか・・・・。」

「少なくとも会長は癒されただろうよ。温泉と譲さん。いい組み合わせだったという事だ。」

 明るく笑う佐々木と眉間に皺を寄せる工藤。

「程ほどにしてもらわないと。しかし、熱を出すまで付き合わせるなんて・・・・暫く仕事浸けにして譲さんを療養させましょうかね。」

 譲を弟の様に思っている工藤は譲には甘いがそういう時椎原に厳しい。

「まあ・・・程ほどにな。」

「過労で倒れないようにはしますからご安心を。」

 企みを浮かべた顔で笑う工藤を見ながら佐々木は笑う。

 此処で助け舟を出さないのが佐々木なのだが、こんな部下に囲まれた椎原は幸福と言うべきか不幸と言うべきか。

 とりあえず、爛れた旅行を送った椎原には忙殺されるほどの仕事が待っているのだった。

 





  





・・・・・濡れ場書けませんでした・・・・。



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