ゆく年くる年
その年の暮れ、譲が荒川と共に大掃除に勤しんでいると安藤から電話があった。
『おひさしぶりです譲さん。』
「あ、お久しぶりです安藤さん。」
長くなりそうだと判断した荒川は殆ど終わりに近かった事もあり、大掃除を切り上げてお茶の準備を始めた。
それを目線で礼を言ってから譲はソファーに座って長話をする態勢を取る。
しばらく何でもない、だが譲には楽しい事を話した後、安藤が切り出した。
『ところで譲さんはお暇でしょう?椎原さんはこの頃大変忙しいようですから。』
「ええ、まあ。」
事実である。椎原はクリスマスからここ数日忙しく、まる一日会えない時もある程だったので。仕事の事について深く追求しない譲はどうして忙しいのかは知らない。
譲が知らない情報をこの人が知っていたとしても何も驚くことは無い。仲良くなったがこの人達はとても不思議な存在で何でも知っていたから。
『では、うちの忘年会に来ませんか?』
「うちって、瑞樹さんのお店のですか?」
『ええ。セレナーデやノクターン、ノアール、ボレロ、花筏の面々が集まりますので美味しい料理とお酒が揃いますよ。場所はボレロです。それと31日の忘年会を泊まりで過ごしてから1日の日の出を観てから三社参りへと出かける予定です。』
ボレロと花筏の料理は絶品だった。知り合いだというので無理に予約しても食べられるのは一ヵ月後が普通の味が宴会に行ったら食べられる。それに1日も仕事だと言われていたので一人の正月は寂しいと思っていたのだ。
それを思うと考える前に了承の返事をしてしまっていた。
「行きます!」
『そうですか。瑞樹もあなたをお気に入りなので喜びます。ああ、ひとつお願いがあるのですが・・・。』
「はい。」
安藤の続きの言葉に譲はあっさりと了承を返して、宴会の場所と日時を聞いて電話を切ったのだった。
「忘年会?」
「行ってはいけませんか?31日なんですけど。夜泊まってそのまま日の出を観て三社参りに行くと言っていました・・・。」
クリスマスを譲と共に過ごした後は朝早くから日付が変わるまで帰って来る事が出来ない椎原は内心済まなく思っていたので行くなとは言えない。
「正月もか。俺は仕事だからな・・・・忘年会は何処であるんだ?」
「ボレロだそうです。ボレロの広間で忘年会をするそうですよ。」
「・・・ああ、レストランの。だが、あそこにそんなに広い場所があったか?」
「玄関が元々パーティーが出来るように広く作ってあるので其処ですると言っていました。それか二階のパーティールーム。明日の午前中人数によると。」
「二階?あそこはプライベートルームだろうに。」
二階には行った事の無い譲は首を傾げる。
「そうなんですか?」
「ああ。」
「行った事が?」
「いや、無い。前に譲がここが好きだと言った時、だったら眺めの良い二階でと思って瑞樹に相談した事があるんだ。その時に、プライベートペースだからと言われて断られた。」
譲は微笑んで椎原に口付けをした。
ちなみに二人はお馴染みの定位置で会話をしている。(椎原は譲を膝に抱えて譲は腕を肩に置いた状態)
「そうですか。」
個人的に好感を持ってはいるが、まさに絶世の美貌と言える瑞樹に椎原が靡かないかと常に心配している譲には椎原の気の無さそうな答えはほっとするもので。
「・・・譲。」
「はい?」
「言っておくが俺は世界で瑞樹と二人きりになったとしても恋人同士にならない自信がある。それに俺が惚れているのはお前だけだ。だから心配するな。」
つまらない嫉妬をしている事くらいとうの昔に知られており、それが現在進行形でも椎原は譲の不安を優しく取り除こうとしてくれる。
「わかっています。僕だってそうだし、信じていますから。でも・・・瑞樹さんはあんなに綺麗で艶やかな人だからつい思ってしまうんです。これは僕自身の問題ですね。」
「あいつの艶は演技だぞ。」
「えっ!!!・・・嘘でしょう?」
「本当だ。まあ、気付いている奴は少ないが。実は俺も安藤に教えてもらった。」
譲は瑞樹の美しい姿を思い浮かべる。
どう考えてもあれが演技とは思えなかった。
「でもどうして演技なんて・・・。」
「相手を惑わせて自分の都合の良いように動かす為だろう。普段からしているのは日常的な癖のようなものだろうな。安藤曰く演技していない時の方が艶は無くても綺麗らしいぞ。」
「・・・そういうものですか?」
「まあ、あいつも色々とあるからな。」
「でもどうして安藤さんがそんな事を知っているんですか?」
「安藤は瑞樹の腹心で一番近しい人間だからだろう。それにそういう関係の師匠なんだと。」
譲は首を傾げた。
「でも私の前では安藤さんは瑞樹さんの事を瀬戸さん、と呼んで瑞樹さんも安藤さんの事を安藤君と呼んでいましたよ?それに・・・安藤さんが瑞樹さんの師匠なんですか?」
「逆だ。瑞樹が安藤の師匠なんだと。それに互いをそんな風に呼ぶ時は仕事上の都合だろう。あとはお前をからかって遊んでいた、か。」
「・・・安藤さんて確か、瑞樹さんより2,3歳年上だって聞きましたけど。」
「ああ。」
「・・・・今一飲み込めません。」
二人のことを知れば知るほど謎が深まってしまう。
眉間に皺を寄せて唇を尖らせれば其処を椎原の唇が掠める。
「あまり深く考えるとますます分からなくなるぞ。本人達に聞けば更に、な。そんな事より俺の事を考えてくれ。」
今度は優しく触れるだけの、だが舌で唇を舐められながらのキスが落ちてきた。
それを薄く唇を開けて受け止めると深く、強く、貪られる。
譲の息が上がる寸前に離された互いの間は糸で繋がったままだ。
「いつも考えています。自分でも不思議な位。」
小さな、聞こえるか聞こえないか分からない声で囁く譲に椎原は微笑む。
額を合わせて目を合わせ、互いの瞳を覗き込むとそこには自分がいる。
どうしてこんなに愛し愛されているのに不安になるのだろう、と譲は思う。
「・・・ごめんなさい。」
譲の不安を性格に汲み取っている椎原は笑った。
「仕方ないさ。惚れているからこそ不安になるというやつだろう。俺の場合はお前を籠の鳥にしていしまっているから其処まで無いだけだ。同じ状況下だったら俺もお前と同じことを考えているはずだ。ありがとうな、譲。」
「雅伸さん・・・愛しています。」
「俺も惚れているぞ。この上なく、な。」
互いに見つめ合い、体の高まりを抑えること無くキスを繰り返す。
そうしてそのまま二人が愛し合う時間へと移行した。
朝起きたときには既に椎原は出掛けた後だった。
「う、今日どうしよう。」
寝不足の頭で考えても上手く作動してくれない。
いつも和装の譲は例え半分寝惚けていても着替えられるので、辛うじて着替えだけは済ませた状態でリビングのソファーに体を寄せていた。
ぐったりした状態で船を漕ぎながら考えていると、いきなり声が掛かる。
「おはようございます。」
顔を上げると其処には荒川さんが居た。そうしてその後ろには見慣れない人物が立っている。
もう昼に近いのだがまだ寝惚け眼の譲に合わせて挨拶してくれた荒川に譲も挨拶した。
「うん。おはよう荒川さん。・・・隣の人は?」
「はい。3ヶ月程前にウチに入った宇治と言います。これからこいつが主に付く事になると思いますので。」
「・・・ああ、荒川さん出世するんだ。おめでとう。」
「ありがとうございます。」
普通なら此処で慣れた人がいいとごねたりするのだろうが、弁えた性格をしている譲は祝福してくれる。
「宇治さんも、これから宜しくお願いしますね。」
ゆっくりと頭を下げると白い項が露になり、其処には紅い華が咲いているのが見えた。
荒川はそれを見慣れていたので、相変わらず仲が良いのは良い事だがこの人は艶がありすぎるな、と思う。
沈黙が室内を支配する。
椎原の大事な人が下っ端の人間に頭を下げるという事をしているのに、宇治は返事ひとつしない。
それを不振に思った荒川が眉間に深い皺を寄せて隣を見ると・・・ぎょっとした。
「お、おい!」
その慌てた声を疑問に思って顔を上げると譲も驚く。
慌ててテレビの横の棚から箱を持ってきて渡す。それを荒川は目礼で謝意を示して容赦なく宇治の頭を殴った。
「何してんだお前は!!!」
言われた宇治は我に返って慌てて頭を下げる。
「す、すみません!宇治と言います!これから宜しくお願いします!」
思い切り目を瞑って頭を下げ、目を開けると目の前に箱が差し出されていた。
どうしてコレが目の前にあるのだろう、と不振に思った瞬間。
フローリングの床に赤い血が落ちた。
どうして血が?
そう、思って宇治が顔を上げると。
慌てながら戸惑いを隠せない可愛らしくも綺麗な顔で箱を差し出した譲の姿が目の前にあった。
「あの・・・。」
どうしたんですか、と続けようとした宇治の顔に荒川が大量のティッシュを押し付けてきた。
「馬鹿っ!!!鼻を拭け!!」
何なんだと思いながらティッシュを受け取って、それを見れば。
ティッシュが赤く染まっていた。
という事は。
床の赤い血は・・・。
半分呆けたような顔をしていた宇治は一瞬にして蒼白になって屈む。
「すんません!!!!!」
慌てて床の血を拭いて自分の顔に押し当てる。
「そんな、床を拭いたもので顔を拭かなくていいから。」
新しいティッシュを繊手が差し出す。
「本当にすんません!」
その手を綺麗だなぁ、と思いながらも有難く受け取って再び鼻を押さえる。
「とりあえず、此処に寝たほうがいいかな。」
言ってから座っていたソファから立ち上がろうとした譲を荒川が制した。
「いえ、それには及びません。少々洗面所をお借りします。・・・おい!そのアホ面をどうにかしてこい!」
部屋の間取りは知っていたのか、宇治は二人に一礼して走って去っていった。
「本当に済みませんでした。新しい者は後日紹介しますので。」
眉間に深い皺を寄せて詫びる荒川に譲は微笑む。
「変更はしなくていいし、雅伸さんに報告も必要ないです。」
「しかし・・・。」
「荒川さんが選んだのだからしっかりして優秀な人なのでしょう?」
「それは、まあ、そうですが。」
戸惑いを隠せない荒川に譲は微笑む。
「だったらいいじゃないですか。それに今忙しいのは知っているし、こんなちょっとしたハプニングで荒川さんまで怒られるのは嫌だから。」
ね?と首を傾げる。
「譲さん・・・。」
少し考えた後、荒川は苦笑しながら頷いた。
「わかりました。そうさせて貰います。ですが少しでも宇治に不振な事を思ったり行動を見たと思ったら言って下さい。次の候補を考えておきますから。実際宇治はボディーガードとして優秀だし、運転技術も確かで目端も利く上に会長を崇拝しているという貴方のガード兼運転手には一番向いている奴なんですよ。だから今日の事を不問にして貰って助かります。」
「はい。何かあったら直ぐに言いますから。」
「実際、あいつは普段飄々とした所がある位なんで驚いています。」
溜息を吐く荒川に今度は譲が苦笑する。
「きっと疲れていたんですよ。それで、緊張したのが現れただけでしょう。」
「だといいんですがね。」
思い切るように微笑んだ荒川に譲も安心して微笑んだ。
「ところで、雅伸さんから何か聞いていない?」
恐縮しながら戻ってきた宇治に譲好みのお茶の淹れ方を伝授しながらお茶請けを準備していた荒川がその声に頷く。
「はい。会長から、忘年会は楽しんで行って来いと伝言されました。」
本当なら紹介したら仕事が詰まっている事もあり、直ぐに帰ろうと思っていたのだがあまりにも不安だったので暫く傍にいる事にした荒川だった。
だが、その鼻血の件を除けば宇治はきちんとした態度を崩さず譲を敬った行動をとっている。
「そう。じゃあ、31日は宇治さんが付いて来てくれるんだよね?」
「・・・そうなりますね。ところでその忘年会は何処のものですか?実は会長から伝言以外何も聞いていないので。」
目の前に出されたお茶を譲はゆっくりとした動作で飲む。
「ああ、美味しい。有難う。」
微笑んだ譲にほっとした顔をして宇治は一礼してから傍らに控えた。
お茶請けの某和菓子店の豆大福を美味しそうに食べてから中断してしまった話を続ける。
「瑞樹さんの経営しているスタッフ達との忘年会に誘われたんだ。31日の夜に始めて、終わったら泊まって1日日の出を観てから三社参りをしようって。」
「・・・ああ、会長は元旦もお忙しいですからね。」
「うん。僕も一人で年末年始は寂しいから入れてもらおうかなって。それに忘年会の会場はボレロなんだよ。花筏のスタッフも揃うから料理はお墨付き。」
ボレロと花筏の料理をとても気に入っている譲には逆らえない誘惑だったのだろう。
「私もお供しましょうか?」
一応椎原のお供をする事になっているが言えば許可は出るだろうと予測はつく。寧ろ言われそうだ。
「ううん。雅伸さんのお供の仕事の方が大事だし、時間があるなら里奈さんと健人君と過ごしてあげて。」
荒川の長男、健人を椎原に似ていると言って可愛がっている譲はそちらの方が心配だった。
「・・・わかりました。」
一応椎原では無く、工藤に相談しておこうと内心決める荒川だったがそれはおくびにも出さず頷いておく。
目線で宇治を確認すると、部屋の隅に気配を消して控えている。
(本当に大丈夫なんだろうか。)
一抹の心配は残るが、本当に先程の件を除けば自分の後継は宇治が一番向いているのだ。
「それより、いきなり参加させてもらうのだから何か持っていったほうがいいかな、って思っているんだけど。」
「何か、ですか。」
「うん。でもアルコールやケーキ類なんて用意されるものの方が絶対に美味しいはずだしなぁ。」
眉間に皺を寄せて考え出してしまった譲に荒川も考え込む。
実は譲は結構買い物好きなのである。
そういった事とは無縁の生活を送ってきたせいか、それとも椎原が甘やかすせいか。
金遣いが荒いという訳ではないが物の価値が今一良く分かっていないという事と妙に変なものに興味を示してしまう所があるので要注意なのだ。
其処のところは宇治にもしっかりと言ってあるのだが・・・。
「ゲームなんてどうでしょうか。」
その宇治が後ろからいきなり提案してきた。
「ゲーム?」
「はい。忘年会の景品に使って欲しいと言って持っていくんです。くじ引きなんかと一緒に。」
「ふうん。そういうのって喜ばれるものなのかな?」
「今流行の漢字検定や脳年齢を検定するソフト等を買って、くじに書き込むんです。はずれは60%くらいにして。メインの機器も入れると盛り上がりますよ。」
「そっか。それは面白いかも。」
「店のスタッフに予算を言って買えば大丈夫ですしね。」
「じゃあ、今から行こう!」
「はい。」
従順に従う宇治と一緒に出て行く譲を笑顔で見送ってから荒川は携帯を取り出した。
譲と宇治二人に見えて、悟られない様に護衛を常に付けているが本日は1人追加しておく。
自分の部下へと工藤に連絡をしてからため息を吐いた。
「何事も無ければそれでいいが・・・。」
彼はこれでも幹部候補。
憂いは断つタイプなのだった。
キャッシュディスペンサーで現金を下ろしてから宇治の案内でゲームショップに行き、店員の薦めるままに(一応決めている)予算内でゲームソフトとメインの機械を購入する。
だが、店員の話を聞いている内に譲も興味が沸いて来て、自分用にも購入した。
店員は色んな物を薦めてきたので、予算を告げてそれに合わせる。
「これなんてどうでしょうか。集まる方は皆様大人のようですから。」
電卓片手に店員の薦めるソフトは成る程、大人でも楽しめそうなものばかりだ。
だが、譲は個人的なものの方を懸命に見てしまう。
「これは面白いですか?」
「個人的には初心者向きじゃないですね。それだったら・・・。」
結局、個人の分だけでも(P○2とそのソフト数枚更にその攻略本、任○堂D○とそのソフト数枚。)相当額を購入してご機嫌な譲に宇治が横から袋を差し出す。
「これは?」
店員が景品用の品をプレゼント用にラッピングしているのを見ながら首を傾げる。
「近くの店で買ってきました。くじです。中を書かなければいけませんが。」
箱は既に組み立てたらしく、あとは中身を書き込むだけとなっていた。
「じゃあ、コンビニでクオカードや映画のチケットなんかも買ってそれも混ぜよう!」
笑顔で提案する譲に店員が笑顔で付け加える。
「では包装がまでですので、今のうちに行かれれば如何ですか?そのくじを書き込むのも手伝いますよ。」
ここまで大量に買い込む客は稀だ。店員だって手伝いのひとつやふたつする気になるだろう。
「そうですか?じゃあお願いします。」
実は隣にあるコンビニに行ってギフトカードと映画チケット等を購入してから店に戻ると包装は終わり、店員が景品用に買った品物をくじに書き込んでいる所だった。
「こちらの方は書き終わりました。今購入されたものを書けば終わりですよ。」
差し出されたくじを観て、礼を言ってから先程購入した数点を書き込めばそれで終了した。
「有難うございました!」
店員の明るい声に見送られて車に乗れば時刻は午後3時。
忘年会の始まる時間は6時からで、此処からボレロまでは1時間半。
「余った時間が中途半端だね。」
運転は別の男がしているので助手席に乗っている宇治に話しかける。
「一時間半ですか。お召し物はそのままで向われるのですか?」
「うん。泊まりと聞いているから着替えも此処に。あ、二人とも泊まりで大丈夫ですか?」
「自分達も聞いているので問題ありません。」
笑顔で答える宇治からは先程の醜態など想像も出来ない。
「そっか。・・・・さっきのは大丈夫だった?」
「・・・・・・・・・・忘れてくださると嬉しいです。」
苦笑する宇治に譲は笑う。
「うん。わかった。忘れる事にします。」
「有難うございます。」
「じゃあ、二人ともお腹空いていませんか?お昼まだでしょう?」
運転手の方は譲がよく同席させたがるのを知っているので返事をするのみだったが、其処まで聞いていなかった宇治は笑顔でさらりと流す。
「お気遣い有難うございます。ですか我々は大丈夫ですから。」
「じゃなくて。丁度お茶の時間だし、今から行きたい所があるのだけれど其処はお茶だけじゃ出してくれない所なんだ。だから遅くなったけどお昼を注文して欲しいな。」
その言葉に運転手は一応自宅へと向っていた進路をさりげなく変更して向かう。
「わかりました。甘えさせてもらいます。」
「有難う。僕は割りと我侭だけど、宜しくね。」
「いえ、そんな。」
「でも荒川さんが言っていた通り気の利く人だし。さっきもお店で椅子を用意してくれたでしょう?冬場はあまり長時間立っていられないから助かった。」
微笑みながら話す譲は寂しい一人身の二人には毒なものだったが、それを理性で留める。
「何かありましたら遠慮なく言って下さい。」
「うん。出かける時には電話するしね。」
登録済みだと言うのを携帯を掲げる事で示して笑いあう。
丁度目的の店近辺に到着し、外側からドアを開けられるまで待ってから車を降りる。
この店は細い路地の先にあり歩くしかないのでいつも此処で降りるのだ。
「さすがに年末は寒いね。」
「今年は大寒波だと言っていましたから。」
和装用のコートを直ぐに羽織って肩を竦めながら歩き出した瞬間、突然体を地に伏せさせられた。
「木戸!譲さんを頼むぞ!」
こういう時の常として騒がず大人しくしていた譲は宇治が駆けていくのを視界に捕らえる。
「木戸さん・・・・今騒動でも起きているの?」
強面を更に恐ろしい顔にした木戸に声を掛けると、車を背面にして前面を守っている木戸が出来るだけ努力して柔らかくしたと分かる声で話し出す。
「少しごたついているだけですのでご心配なく。」
「・・・そう。」
譲は自分の立場を重々承知している為にそれ以上を聞く事が出来なかった。
「しかし・・・宇治さん、よくわかったよね。」
周りを警戒しながら車に乗せられて、とりあえずその場を後にする。
「そうですね。宇治はボディーガードとして一流だと佐々木の兄貴が言っていました。」
「・・・・佐々木さんから木戸さんが佐々木さんを兄貴と言ったら報告するように言われているのだけど。」
「・・・・・・・・・・・・はい。」
「でも緊急事態だったから仕方ないですよね。黙っておきます。」
「有難うございます。」
「うーん。お腹空いたでしょう?ちょっと早いけど瑞樹さんに電話して先にあちらに行ってしまおうかな。」
ボレロは見た目よりずっとセキュリティーがしっかりしている。瑞樹本人が寝起きしている館なのだから当然といえば当然なのだが、寝起きしている住人達も腕に覚えのある人間が多いのである意味もの凄く安心な場所なのだ。
「そうですね。その方がいいでしょう。」
連絡を取ると、朗らかな声で了承してくれたのでホッとした。
電話を切ると今度は木戸の携帯が鳴る。
失礼します、と声を掛けてから携帯を取ってから了承の返事だけして通話を終えた。
「宇治さんから?」
「はい。片が付いたようですので。」
いくら鈍い譲でも運転手と護衛が一人ずつという事は無いというのを知っているので、残りは他のボディーガードに任せたのだろうと察しが付いた。
「そうなんだ。」
もと来た道を戻り、宇治を拾う。
「お疲れ様。このままボレロに向かう事になったから安心して欲しいと雅伸さんに伝えてくれる?あ、雅伸さんは忙しいだろうから工藤さんか佐々木さんかな?」
「はい。わかりました。」
連絡する宇治を見ながら、着たままだったコートを脱いで深くシートに身を沈める。
「到着するまでどうぞ休まれてください。」
その様子を見て、宇治が微笑む。
「うん。ありがとう。」
ゆっくりと目を閉じると睡魔は瞬く間に譲を支配した。
「譲さん、着きましたよ。」
柔らかい声に起こされて目を覚ませば、宇治が覗き込むようにこちらを見ていてる。
「ああ、熟睡してしまったみたいだね。」
「いろいろとお疲れだったのでしょう。」
車寄せに止められたらしく、車から降りると目の前には玄関があった。
寒いな、と思えば後ろからコートが掛けられた。
「有難う。」
「いえ。」
今日付き始めたとは思えない程自然に後ろにいる宇治に譲は安心感を覚える。
「宇治さんって何だか安心できますね。」
「そう言っていただけて嬉しいです。」
互いに笑顔になってから正面を向いた。
木戸は車を仕舞う為に此処にはいない。
チャイムを押すと古めかしい音が響く。
程なくして開かれたドアから安藤が顔を出す。
「いらっしゃい、譲さん。」
ノアールのバーテンをしている時はお仕着せを着ているのだが、今は仕立ての良い深緑のスーツを着ていた。
「お招き有難うございます。・・・何か、いつもと違う感じですね。」
「ああ、お会いする時はバーテンですからね。」
暗い照明の中の彼は夜の海を楽しみむように泳いでいた。
それは変わらないように思えるが、この姿の方が少し優しげでいて少し、少しだが何だか妖しげに見える。
「どうしましたか?」
「いえ、何でもありません。それよりご招待頂き、有難うございます。」
「私があなたに頼んだ事ですから。」
玄関ホールは前回見たのとは違い、薄いワインレッドのカーテンが掛けられていた。
暖炉には火が灯り、等間隔に一人用や2,3人掛けのソファーが置かれており、長いテーブルには立食形式にするのだろう、保温気などがあった。
「料理が今から楽しみです。」
端に置かれていた丸テーブルに椅子を三つ置いてから、其処に譲を促す。
「お連れの方も此方に座って待っていて下さい。」
気配も音も無く後ろに付いていた宇治に笑顔で言ってから安藤は背を向けて別の扉へと進んでいく。
「あ、安藤さん。これを。」
振り向いた安藤に譲は宇治にそれを渡すように指示する。
「これ、ゲームのくじと景品です。大した物では無いのですが、何かあったほうが面白いかと思いまして。」
それを見た安藤は眉を下げて苦笑した。
「そんな・・・気を使わなくて良かったのですよ?そもそも私が来て欲しいと頼んだのですし。お礼は私が用意しなければならない位なのです。」
「雅伸さんは忙しくて年末年始一緒に過ごせないから、誘っていただかなかったら僕は寂しい年末年始になっていたんですよ。だから招かれて嬉しかった。それは、まあ、それで盛り上がってくれればと。」
「中身は何ですか?」
「ゲームやギフトカード、映画のペアチケットです。ゲームはえ〜っと・・・。」
「任○堂D○とP○P、そのソフトです。」
宇治のフォローに目線で礼を言ってから安藤に向き直る。
「です。一応人気らしいので。」
「へぇ。私も少し興味があったので、当たるといいな。」
宇治から渡されたものを受け取って安藤が去っていくと部屋は暖炉の薪が燃える音だけになった。
「木戸さんは?」
「もうすぐ来ると思います。」
「・・・・・・薪の音って何かいいね。」
「落ち着く音だと昔知り合いが言っていました。」
外は少しずつ暗くなり始め、中は暖炉が灯っている。
暖炉の火は心の火も灯らせるものなのだろうか。
譲は心が和むのを感じながら、それでも此処に椎原が居ない事を寂しく思う。
そんな我侭を言うわけにも行かず、宇治に笑い掛ける。
「・・・・・・・・でも玄関ホールに暖炉ってちょっと変わってるかな?」
「それは部屋の壁を抜いたからです。」
声に振り向くと、安藤がトレイを持ってこちらに来ている所だった。
「壁を抜いた?」
「はい。向かって右側の方が広いでしょう?」
確かに暖炉側の方が反対側より広い。
「ああ、確かに。」
「此処は石造りですけどホールは寒いですからね。」
テーブルに置かれた皿にはサンドイッチが並んでいる。
「出される食事と同じものなのが申し訳ないですが、とりあえず始まるまで少し時間がありますしね。」
「いえ、充分です。有難うございます。」
サンドイッチは海老とアボガドのものでとても美味しい。
一緒に出された紅茶も、とても、美味しい。
「この紅茶、美味しいですね。」
「有難うございます。瀬戸秘蔵の紅茶なのですよ。オランダのメーカーから取り寄せたものです。」
この細かい心遣いには心底恐れ入る。
「そうなのですか。瑞樹さんはオランダの紅茶が好きなのですか?」
「いえ、瀬戸は紅茶より緑茶の方を好みます。でも料理に合うお茶というものがあるので揃えているのですよ。お好みでしたら中国茶やハーブティーも用意していますから遠慮なく言って下さいね。」
譲は感心してしまう。安藤はこの館の執事では無いのだ。あくまでも瑞樹の補助が仕事だと言っていた。だからこそ趣味嗜好をすべて把握しているのかもしれないのだが。
「安藤さんは、いつも瑞樹さんの事をわかっているみたいに行動しますよね。どうやったらそんな事を出来ますか?」
柔らかく微笑んでいた安藤が僅かに首を傾げた。
「そうですね、私の場合は一緒に居る時間が長いですから。嗜好は食事をしている際にどんなものを多く食べているかなどを見て、相手の表情を観察する。そんな所ですね。」
譲も椎原の嗜好に合わせたものをプレゼントしたいし、好きな料理を作りたいので観察はしているのだが。
「でも雅伸さんは難しいです。何を作っても美味しいって、本当に美味しそうに食べてくれるしプレゼントも何をあげても喜んでくれるばかりで。出来るだけ趣味に添う様にはしているのですが。」
それは譲の目下の悩みだった。
俯いて、紅茶を見つめていると、上から小さな笑い声が響く。
「安藤さん?」
「それは単純に譲さんが作るもの、プレゼントするものすべてが嬉しいだけですよ。だからこれからもそのままでいいと思いますよ?」
「そうでしょうか。」
「そうですとも。」
意外と安藤は人を安心させるのが上手く、いつも譲は安藤に相談してしまう。
「すみません、いつも愚痴めいた事を言ってしまって。」
「いいえ。譲さんの悩みは微笑ましくて聞いているのが楽しいくらいなので、これからも遠慮なくどうぞ。」
「そう言って貰えると嬉しいです。・・・そういえば、瑞樹さんは?」
「瀬戸は疲れて眠っています。ですがもうそろそろ起こす時間ですので3,40分後に此方に来るでしょう。私も瀬戸の手伝いをしなければなりませんので、失礼します。お暇でしたら隣室は書庫になっていますからご自由に閲覧してください。」
笑顔で去っていく安藤に譲は憧れの目を向けた。
「安藤さんて凄いね。バーテンは趣味だと言っていたし、瑞樹さんの仕事の手伝いもして。有能なんだ。でも瑞樹さんも大変みたいだね。こんな時間まで疲れて眠ってしまうほど仕事をしているなんて。」
仕事とは限らないのではないでしょうか?と、安藤を見ている限りそう思い、譲に提言したい宇治だったが、とりあえず黙っておく。
其処へ木戸が現れた。
「お疲れ様。始まる前にサンドイッチでもと出してくれたんだ。」
「有難うございます。」
木戸も礼を言って、一つを一口で食べてしまう。
腹が減っていたのだろう。
それを暖かい目で見守る譲とは逆に咎める宇治の目線に気づいた木戸は慌てて紅茶で流し込む。
「失礼しました。」
「ううん。ごめんね。疲れたでしょう?」
「いえ。大丈夫です。」
「守ってくれて有難う。此処は安全だから木戸さんも宇治さんも楽しもうね。」
仕事で来ているのだから楽しむなんてもってのほかだが、そんな事を言っては譲が気にするだろうから二人とも笑顔で頷く。(木戸の方は笑うとっても僅かに口角を上げる程度だったが)
「ええ。此処の料理は絶品だと聞いたことがあるので楽しみです。」
その言葉に譲も嬉しそうに頷いた。
「ようこそ譲さん。」
笑顔で現れたのは存在自体が奇跡な程の佳人。
本日の装いは、オフホワイトの三つ揃い。
一つ間違えばヤクザに見えてしまうこの色も佳人が身に纏えば華やかさを増すものらしい。白がこんなに似合う人も珍しいだろう。
「ずうずうしくも押しかけてしまいました。」
「いいえ。人は多いほうが楽しいでしょう?それにゲームまで用意してもらって。」
この人独特の華の匂いが周りに漂うと少しだけ譲の頬が赤くなる。
オリジナルの香水っていいかもな、と瑞樹を知ってから思っていたので今日こそは安藤に瑞樹が購入している香水店を聞こうと内心決心した。
「そんなたいしたものではありませんから。」
「実は少し興味があったから、当たるといいなと思っているんだ。」
笑い合っていると、横から安藤が瑞樹に椅子を用意し、紅茶を差し出す。
「有難う。準備は?」
「問題ありません。今からでも料理を運び込めは始められます。」
そう、と満足げに笑ってから譲を見る。
「花筏の板長達やボレロのシェフ、日向も腕によりをかけて作っているので楽しみにしていてください。ケーキはソムリエの三河が作っているのですよ。」
艶然と微笑む瑞樹に頬を染めながらも譲はこの店のソムリエを思い出す。
「あの方はケーキ作りが得意なのですか?」
「一流のパティシエにも負けない腕を持っています。」
安藤が微笑みながら付け加える。
ソムリエとしても一流だが、ボレロで働いている理由はこれなのだった。
客人には一流のソムリエとして。
瑞樹には彼好みのパティシエとして。
「三河のケーキは美味しいぞ。」
「楽しみにしています。」
笑って話している内に時間は過ぎていく。
何気ない、だが楽しい話をしていると横から宇治が思い出した、という風に瑞樹に聞いてきた。
「この集まりは忘年会だと聞いたのですが、31日に忘年会をするのは縁起が悪いのでは?」
「忘年会?今日の集まりはこのまま年が明けるまで開くからほぼ新年会になる予定だが?」
一応譲には敬語を使う瑞樹だが、宇治にはぞんざいな口で質問に答える。
「え?でも安藤さんは忘年会って・・・・。」
「新年の集まりだと言えば堅苦しいと感じられて断れるかもしれないと思いましたので。」
笑顔でさらりと流してから譲に紅茶を勧める。
それを受けて話を戻しながら、安藤さんてもしかして結構腹黒い人なのかなと譲はようやく気付いたのだった。
開始予定時刻30分も前になるとちらほらとホールに人が集まり始めた。
譲も見知っている人もいれば知らない人も居る。
「こんばんわ浅見さん。」
艶やかな笑顔を見せるのはマヤという女性。
「こんばんわマヤさん。」
他にも挨拶をしてくれる人が数人居て、自分は歓迎されていないわけではないのだとホッとした。
既にテーブルには豪華な食事が並んでおり、食欲をそそる。
そして開始10分前には参加予定の人間が全員集まったらしく、暖炉の前に瑞樹が立った。
「それでは一人で過ごす予定の人限定の年末から新年までのパーティーを楽しんでください。」
全員に配られたグラスを上に掲げて宴は始まった。
開始した当初は和やかな会話を楽しむ大人の集いだった。
一時間後には明るく楽しい会話が弾んでいた。
二時間後には酔った人も出てきて、それでも楽しかった。
三時間半後・・・・・・・。
譲は少し顔を引き攣らせていた。
それというのも・・・・・・。
開始三時間経った時、譲が持ってきたくじが引かれ、当たった人は景品が配られる。
其処までは酔った集団だが楽しいと思えるものだった。
だったのだが。
それらが終了した後、安藤が笑顔で手を叩く。
「さて皆様。こちらでもちょっとした催し物を用意しております。簡単な宝探しです。場所は此処の一階面積全て。」
結構な広さである。
「隠し場所は私の間接的な知り合いに頼みましたので、此処に住んでいる住人は誰も知りません。」
「という事は隠した人間の心理を考えて探す事は不可能なのね。」
マヤが妖しげな笑みを浮かべて一応確認をした。
それに安藤は笑顔で頷く。
「そういう事です。ちなみに私達も参加します。皆様が探し出してから20分後に捜索を始めるというハンデ付きで。」
「景品の一部を教えては貰えないのですか?」
聞いてきたのはセレナーデのホステス。
「では一部を公表しましょう。帝国ホテルスイートルーム宿泊券、スーツオーダー券、そして・・・。」
息を溜めてから安藤が妖しげな微笑を浮かべて言い放った。
「我らがオーナー、瀬戸瑞樹を一日占有出来る権利です!」
お愛想で楽しげに聞いていた全員が最後の景品に目を光らせた。
「それは・・・本当?」
マナが手に持っていたグラスにヒビを入れながら確認する。美しく手入れされている赤いマニュキアを塗った爪が何故か凶器に見えてしまうのはどうしてだろうか。
安藤は笑顔を消して頷く。(笑みを消した安藤を怖いと思った譲であった)
「ええ。本当に不本意ながら事実です。これは瑞樹が提案した事ですから。」
心底不本意だったのだろう事がありありと分かる台詞と顔だった。
(だから僕を誘ったのか・・・。)
納得しつつも一気に変わった空気に若干腰が引けてしまう。
「宇治さん、木戸さん。」
「はい。」
「この空気を怖いと思ってしまう僕は駄目なのかな。」
「いえ、正直自分も怖いです。」
淡々とした声で木戸は答えたのでもしかすると譲を思いやっての事かもしれないが、譲は頷く。
「そう。良かった。」
何か、色んな意味で目を光らせている面々は確かに怖い。
「これは自由参加です。制限時間は二時間。年が明けると同時にタイムアウトとさせて頂きます。」
各々は暖炉の上にある時計を見る。
現在時刻午後九時四十九分。
「この時計は正確な時を刻んでいます。十時の鐘と同時に移動を開始してください。二階に上がらない、邸内のものを壊す等の事をしない、敷地内から出ないという事を守れば大丈夫です。景品は隠されていたそれをこの部屋で瑞樹に渡した人間が貰えるものとします。」
テーブルにはデザートと軽食が並び、ポットも用意されている。
ゲームに参加しない人の為だろう。が、殆どの人間が参加する事は明らかだった。
誰も何も発さず、皆が暖炉の上の時計を見つめている。
只管沈黙という嫌な時間が過ぎていく。
時計の針が進む音が大きく響く中、緊張は高まっていく。
時刻は九時五十九分となった。
ゲーム開始まで後五十秒。
四十秒。
三十秒。
二十秒。
十秒。
五秒。
四・三・二・一。
古風な時計が可愛らしい音を立てて鳴り出す。
その瞬間、この部屋に居た人間達が一気に外に出て行った。
開始から四時間四十五分が経過していた。
静まり返った室内で瑞樹がゆっくりとした動作で紅茶を飲む。
「皆そんなに景品が欲しかったんだな〜。」
確かに景品が欲しいのだろう。だが、瑞樹が思っているホテル券やスーツオーダー券では無い事は確かだ。
「そうでしょうね。それにたまには馬鹿騒ぎをするのも一興というもの。」
「あの、皆さんは参加されないのですか?」
「私はしません。」
「自分もです。」
三河と日向は不参加。
「私は参加しますよ。何事も楽しむというのが私の信条ですからね。」
安藤が笑みを浮かべて宣言した。
「へ〜。譲さんはどうされるのですか?」
一応ゲストだからか瑞樹は丁寧な口調を崩さない。
「え、僕は。」
参加しないで此処でお茶をしようかと思います。
そう続くはずだった。
言葉の途中で安藤が耳元で囁かなければ。
「約束でしょう?それに景品の一つにあの興信所の使用権がありますよ。」
安藤の言う興信所とは。
とても優秀だが、客を選び、誰でも連絡できないという裏で有名な興信所である。
その権利を一回分でも獲得できれば椎原が助かる事は明白。
「参加します!」
拳を胸の前に置いて宣言すると、瑞樹は微笑みを浮かべて頷いた。
「そうですか。譲さんはハンデ無しですから今から捜索できますよ?」
その言葉に、すかさず三河が渡してくれた襷を掛けて一歩を強く踏み出した。
「行って来ます!」
力強い声を出して部屋を出ようとする譲を慌てて追いかける宇治と木戸。
「譲さん!探すのは我々に任せてください!こんな冬の日に出歩くなんて!」
足の悪い譲は長時間歩くのは無理がある。
「いいえ!絶対に見つけてみせます!」
だが譲の目には強い光が宿っており、木戸と宇治は一刻も早く見つけるしかないと互いを見て頷いたのだった。
一方。
捜索を既に開始している面々は、軽いバトルを繰り広げていた。
その理由は。
「これは私が最初に見つけたのよ!」
「いいや。俺だ!」
隠されていた丸くて黒いプラスチックのそれを二人が同時に見つけてしまったのだ。
それの所有権をめぐって争いが勃発している。
お互いに手が出ないのは、男女だからであり同姓同士だったらとうに喧嘩上等になっていただろう。
通りかかったマヤは唇を左右対称に上げてから立ち去る。
「ふふふ。そうしている間に私は探さなくちゃ。」
捜索だけが宝探しじゃない。
ライバルの足を引っ張るのも宝探しのうち。
既に一つ見つけていたマヤは中身を見た後殻のそれを今言い争っている二人の場所に隠したのだった。
そして譲は。
何と外にいた。
外はさすがに誰も探していないらしく、人影や声もしない。
「譲さん!脚に悪いですから邸内を探しましょう。」
「ここを一通り探してからね。」
必死に借りた懐中電灯片手に捜索している。
もし目当てのものを手に入れる事が出来たら椎原の役に立つ事は確実だ。
そう考えてるとおのずと探す手にも力が入る。
宇治と木戸も一刻も早く譲を邸内に入れて暖かくして欲しい一心で目を凝らして探していた。
こちらは邸内。
「さて。あと五分で私も動けますね。」
「安藤。」
「何ですか?」
「譲さんに何を言ったんだ?」
「景品の一部を教えただけです。」
「・・・・・ああ、お前が提案したあそこの紹介状か。」
「ええ。譲さんは是非とも欲しいだろうと思いまして教えて差し上げたんですよ。」
「本当に・・・・お前はもう。」
瑞樹は深い溜息を吐いてから、カップを手にする。
「譲さんは脚が悪いのだから見かけたら止めて此処に行くように説得する事。」
「わかりました。」
その時丁度、時計が20分を指した。
「それでは私は参加してきます。」
「ああ、妨害は無しだぞ?」
「既に他の人がしていそうですね。」
「それでもだ。」
「わかりました。行って来ます。」
そうして一時間が経過した。
「ああああああ〜!!!!!!見つからない!」
こちらは参加者の心の声(声に出している)
「譲さん!脚に悪いですから諦めて帰りましょう。後は我々が探しますから。」
「嫌!」
(雅伸さんの役に立ちたいんだ!)
未だに外で捜索を続ける譲とそれを止める為にも必死で探す宇治と木戸。
「あの部屋と此処とキッチンと水周りは全ては探した。後は納屋か?」
(早く見つけないと瑞樹の一日が取られてしまう!!!)
理論的に探そうとするが、内心焦っているので中々見つけれられない安藤。普段から一番独占しているだろうに、心を広く持てないらしい。
その他にも格闘を広げたり、相手が怪我するように(しかし邸内のものは一切壊さず)仕掛けをしつつ捜索をしたり、タッグを組んで探したりと参加している全員が必死になって目的のものを手に入れようとしていた。
その様子を防犯カメラで眺めつつ、溜息をつくのは屋敷の主、瀬戸瑞樹。
「・・・・・どうして皆こんなに必死なんだ?そろそろ諦めて暖かいものでも摘めばいいのに。」
優雅にお茶と和菓子を摘む姿は藍染の着流し姿。
安藤が捜索に必死な間に冴口と三河の手によって御召し換えをしたのだった。
「そうですよねぇ。」
安藤が宝探しに必死なために手伝いを申し出る事が出来た上に珠の肌を拝む事が出来、とても嬉しい冴口と三河はご機嫌な笑みを浮かべたまま瑞樹に追従する。
日向は黙って年越し蕎麦(三口程で食べれるもの)を各人に出しながら溜息を吐く。
「早く戻ってこないと蕎麦が余ってしまうのですが。」
ちなみに花筏の板前達も行ってしまったので日向のお手製である。蕎麦自体は知り合いに打って貰った物なのだが。
「あ、この蕎麦美味しいな。」
「調理学校時代の友人が近くで蕎麦屋を営んでいるのを先日しって頼んだのですよ。お気に召したのなら幸いです。」
「うん。本当に美味しい。」
「変わり蕎麦などもありますので今度ご案内します。」
「皆で行こう!」
「「「はい」」」
宝探しに参加しなければ瑞樹の麗しい笑顔が拝めたものを、と嗤う冴口は約一時間後ちょっとした氷河の中に佇まねばならないのだが、未来を知る事のできる人間なんてそうは居ないので今は唯幸せの中に居た。
一時間四十五分後。
「・・・見つからない。」
目じりにうっすらと涙を浮かべながら必死で探しているのだが、未だに見つからない。
実は脚が大分痛みを発しており、本当なら部屋に戻って暖めなければならないのだが、どうしても諦めのつかない譲は痛む脚を無視して捜索を続けていた。
「外は全て探したのですから、もう見つからないのでは?」
慰めるように優しく肩に手を置いてから部屋に戻るように促す宇治に譲は首を振る。
「うん。・・・だけど目に見える範囲は全て探したのに・・・・・目に見える範囲?」
凍えているせいで震える声を発していた譲は自分が言った言葉を反芻した。
目に見える範囲。
周りを見渡せば、塀の内側は大きな木が植えられている。
「・・・・宇治さん、木戸さん。木!木の上を懐中電灯で照らしながら探してください!僕はあちらから探しますから二人はこちらからお願いしますね!」
脚が痛む為に走る事は出来ないが、出来るだけ急いで木に近寄って一つずつ丹念に探していく。
一本目、二本目、三本目、四本目。
そして五本目。
「あ、何かある!」
高い木の枝の間に何か置いてあるのだ。
譲は襷を解いてそれを半分に折って枝に掛けると輪を潜らせて、それをロープ代わりに木を上る。
脚が痛んで頭痛までしてきたが、それはこの際無視をして目的のものに腕を伸ばす。
あと少し、なのだがどうしても指が届かない。
「あと、少しっ。」
体を枝の方に向けて何とか掴む。
「やった!」
その瞬間、携帯に設定しておいたメロディが流れた。
十二時丁度。
間に合ったのだ。
ほっとしている譲に下から声が掛かる。
「譲さん!」
下を見ると宇治と木戸が暗闇の中こちらを見つめている。
「あったよ!ほら!」
嬉しくて黒いプラスチックのそれを掲げた。
だが、嬉しくて今自分が何処に居るのかを忘れていた譲は捕まっていた幹から手を離してしまう。
「あっ。」
落ちる、と覚悟して目を思い切り瞑ったのだが、衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けると額に汗を掻いた宇治がこちらを見ている。
「気をつけて下さい。あなたに何かあったら我々も唯では済まないのですよ。」
というより脚が痛んでいる事に気付いているので既に叱責は免れないのだが、それでも譲のこの笑顔で仕方無いと思えてしまう。
「ごめんなさい。・・・明けましておめでとう。今年もよろしく。」
宇治と木戸に綺麗な笑顔を向けて挨拶をした。
二人は思わず苦笑してから足を邸内へと向ける。
「おめでとう御座います。さて、目的のものも見つかったのですから戻って温まりましょう。脚も暖めなければ。」
「うん。ごめん。後で雅伸さんには僕が悪いってちゃんと言っておくから。二人が何か怒られないように。」
「それは。・・・ありがとうございます。」
言っても無駄な事は明白なのだが、その気持ちが嬉しい。
「それと・・・一人でも歩けるけど。」
「その脚では無理ですね。かなり引きずっていましたから。」
「う・・・。」
「あと、木戸も見つけましたよ。」
木戸が譲の目の前に差し出したのは黒いプラスチックのそれ。
「わ、凄い!中に入ったら何て書かれてあるか確かめよう!」
「そうですね。」
もしこれが目的のものなら今年一年いい年になりそうだと微笑む譲だった。
邸内に戻ると三河と日向が直ぐにソファに促した後、電気毛布とロシアンティーを渡してきた。
「有難う御座います。」
「いいえ。」
三河が一緒にケーキも置いていってくれたので、それを食べる。
生クリームが沢山添えてあるシフォンケーキはとても美味しい。
宇治と木戸も渡されたロシアンティーを黙って飲んでいる。冷えたときには熱燗などが良いのだろうが、これから寝る事を考えるとお茶の方がいい、と譲は思った。
「さて、明けましておめでとう。年越し蕎麦を食べる暇も無い程頑張った甲斐はあったでしょうか?」
着流しに着替えて艶然と微笑む瑞樹が立ち上がる。
「宝物を見つけられた方はそれを私に見せてください。」
譲は立ち上がろうとしたがそれを宇治が制して、瑞樹の所に進む。
「譲さんが見つけました。」
差し出したのは二つ。
「一つは木戸がみつけたんです。」
訂正する譲に瑞樹が微笑む。
「他の方は?」
マナと安藤、それと数人が進み出る。
「では此処で開封しましょう。開いている分には公表する、という事で。」
それぞれの名前を白マジックで書き込んでから瑞樹が手ずから開封していく。
「まずマヤはホテル宿泊券。」
一瞬眉が顰められたが、それを一瞬にして隠して微笑んでお辞儀をした。
「続いて花筏の板前の皆さんは、有給休暇10日分追加。・・・そうだな。協力してとったものだから全員が10日分追加しましょう。」
これは従業員には嬉しい出来事。
喜ぶ花筏の板前達に瑞樹も嬉しそうにしてから、紙に目を落とす。
「それから・・・これは空。」
男女二人がそれを聞いた瞬間唖然とした。
「そんな!」
「一応言っておくけど空は用意していないから。」
絶句している二人を置いて発表を続ける。
「あ、マナは二つだったんだね。これは・・・豪華客船世界半周旅行ペアチケット。」
マヤは物凄く嬉しく無さそうな顔をして眉を顰める。
「そして安藤は、京都俵屋旅館貸切二泊三日の旅。」
譲は羨ましいと思ったのだが、安藤は小さく舌打ちをした。
「譲君は、某興信所の紹介状。私の直筆。」
「わっ!有難う御座います!」
欲しいと思っていたものがそのまま当たりだったのだ。嬉しくないはずが無い。
「良かったね。」
「はい!」
本当は誰か他の人が当たっていたら自分のものとプラス何かで交換して貰おうと思っていたのだ。
「最後は木戸さんだったかな?」
答えない木戸に変わって譲が返事をする。
「はい。」
「木戸さんは・・・・私、瀬戸瑞樹を一日占有できる権利。これ要る?」
他の人間ならともかく、木戸は2,3度見たことあるだけの人間の一日デート権のようなものを貰っても持て余すだけだろう。
案の定木戸は困り顔で目線を動かしている。
「はあ。」
「ちなみに今此処で交換可能。当人同士がなっとくすればね。」
瑞樹が言い終えた瞬間、マヤと安藤が物凄い勢いで木戸に言い寄る。
「譲って!!!」
「譲って下さい!」
同時に詰め寄られ、大抵の事は動揺しない木戸も一瞬たじろぐ。
だがそれは一瞬の事で。
「では、俵屋の方を。」
「ええ、是非!どうぞ!」
「どうして?!ホテル宿泊券と豪華客船ペアチケットじゃ駄目なの?」
正反対の顔をして詰め寄る二人に木戸は低い声で話す。
「まず、ホテル宿泊は椎原と譲さんはよくある事です。そして世界半周は多忙ですから難しいかと。俵屋ですと貸切ですし、二泊三日なら何とかなると思ったのです。」
至極もっともな意見にマヤは首をがっくりと落として安藤は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「でもそれじゃあ、僕の望みになってしまうでしょう?木戸さんは自分の望みで選んでいいんだよ?」
おっとりと言う譲に木戸は目礼する。
「有難う御座います。しかしこれは譲さんが私達に指示しなければ見付けられなかったもの。譲さんのものでしょう。」
納得できないのが顔に表れている譲に瑞樹が笑みを浮かべて諭す。
「この集まりはそもそも譲さんだけを招待したもの。二人はお付なのですから、そんな場所で景品を貰っては怒られるかもしれませんよ?」
その事に思い当たらなかった譲は僅かに頬を染めて木戸を見る。
艶やかなその表情に一瞬心が動いたものの、譲のお付になってから半年以上過ぎている彼には理性という鋼の味方がいたので何とかなった。
「ごめんね。そんな事に思い当たらないなんて。」
「いいえ。お気持ちだけ頂いておきます。」
譲が微笑む柔らかな雰囲気に殺気立っていたマヤの気配が多少緩む。
「さて。年は明けてしまったが、蕎麦が残っているから食べてしまおう。」
手を叩いた瑞樹に従って日向と三河が全員に蕎麦を配ってまわった。
蕎麦というものはもっとぼそぼそしたものだと思っていた譲はその、つるりとしていて蕎麦の匂いがするような味を微笑みを浮かべていただく。
この場にいる面々もそう思ったらしく、美味しいという言葉はあちこちで囁かれていた。
その中で蕎麦を味わうほどの余裕が無い人間が一人。
「どうしてあんたが権利を貰うわけ?あんたはいっっっつもオーナーと一緒でしょうが!!!!」
マヤは美しい眦をこれでもかと言わんばかりに吊り上げて安藤に文句を言う。
「私は丸一日瑞樹の傍に居ないなどというのは耐えられないものですから。」
平然と言いながら傍を食べる安藤にマヤは益々憤る。
「一日くらいいいでしょうが!!!!この欲深!淫乱!」
年明け早々にそんな事言わなくてもいいのに、と譲が思っていると安藤が艶やかに笑う。
「ふふふ。当たり前でしょう?私が瑞樹の着替えや髪や肌の手入れを誰かに譲るとでも?あ、もしかして貴女の彼氏をちょっと摘み食いした事をまだ怒っているのですか?いいじゃありませんか。あんな下手な人間捨てたほうが無難ですよ?それに年も明けた事ですし、去年の事は水に流しましょう。」
さりげなく傍若無人な事を平然と言い放って瑞樹の方を見る。
と、安藤の穏やかそうな笑みが固まった。
既にお雑煮を食べている瑞樹はその視線を感じて安藤を見てから首を傾げる。
「・・・・・・・瑞樹。いつの間に着替えたのですか?」
「宝探しの間。年明け前に着替えるつもりだったし。」
当たり前の様に言ってから餅を頬張る。妙に子どもじみたその姿に思わずマヤは微笑んだ。
だが安藤はそれ所では無い。
「そうですか。・・・・では一人で着替えたのですか?」
俯いた安藤を見ながら餅を飲み込むと今度は三つ葉を口に入れる。
「うん。」
「誰の補助も無しに?」
「補助?帯を取ってもらったりはしたけど。」
だってお前居ないし。
と椎茸を口に含んで付け加える。
「帯だけですか?誰に?」
「冴口。一人だと帯を取るために一々動かなければならないから面倒なんだ。」
実は。三河は手伝いを辞退していたのでこの場にはいなかったのだ。
こうなる事が予想できたので。
「何ですって?」
体をわざわざ瑞樹が背になるようにしてから冴口を見る。
その顔を見た譲は、思わず傍にいた宇治の腕にしがみ付いてしまう。
般若、メデゥーサ、大蛇、何でもいい、ともかくそんな恐ろしい顔をしていたのだ。
「雅伸さぁん。」
思わず神様仏様、ならぬ、椎原を情けない声を出して呼んでしまうのも仕方ないだろう。
その瞬間椎原は。
「ん?」
「どうしました?社長。」
「今譲に呼ばれた気がしたんだが。」
傍に控えていた工藤は微笑む。
「そうかもしれませんね、お二人は以心伝心の仲ですから。羨ましいですよ。私もそういう人が欲しいとこんな世界に身を置いていながらそう思ってしまいますから。」
譲の好きな某所の漬物や団子などを土産屋の店頭で事務所に送る様に部下に指で指示してから憂いの目を東の方角に向ける。
「それより、何か怖いものを見たような声だったから・・・心配だな。」
譲と会ってから風格というものが備わった椎原がそんな目をするのは珍しい。
それをフォローするように工藤は言い足した。
「今日中に会えるのですから、その時に聞けばいいと思いますよ。そんなに切羽詰ってはいないのでしょう?」
「まあ、そうなんだが・・・あいつが嫌な思いをしていなければいいが。」
色ボケ、とは違う、二人の絆と椎原の変化を見ながら工藤は二人の間に流れるものを感じて暖かい気持ちになったのだった。
「その時は社長が慰めて上げれば良いだけの事。」
笑ってその場を離れながら、初詣の参拝客とは逆方向に歩き出したのだった。
安藤は瑞樹に笑顔で話しかける。
「私は少々冴口さんと話がありますので中座しますね。」
零下の温度の雰囲気の中、瑞樹はお雑煮を食べ続けている所だった。
「え?ああ、うん。でももう直ぐ解散だからそれからにしたらどうだ?」
最後の花形にんじんを食べてから提案する。
「そうですね。ではそうしましょう。」
大人しくそれに従って安藤は瑞樹の傍らに立つ。
「お雑煮食べてからだけどな。」
笑みを浮かべたまま安藤は傍らの椅子に座りお雑煮を迅速に且つ丁寧に平らげる。
「ご馳走様でした。」
目線で他の人間にも早く食べ終えろと促すので、全員が慌ててお雑煮を口に運ぶ。
「・・・安藤、何かしたか?」
「いいえ。皆さん早く初詣に行きたいのでしょう。」
平然として言い放つ安藤に譲は若干の恐怖を覚える。
それを察した三河が譲の傍に行ってお雑煮を差し出しながら囁いてくれた。
「安藤さんはオーナーの事が絡むとああなるだけで、普段は温和な方ですから安心してください。それに貴方はオーナーのお気に入りですから滅多な事ではあれを向けられる事はありません。」
一安心しながら食べ終えた蕎麦とお雑煮の椀を交換してもらい、礼を言うと三河は笑顔で去っていく。
「三河さんていい人だね。」
颯爽として歩く姿を見送りながらつぶやくと宇治も同意する。
「そうですね。・・・ところで私は本日泊まりの予定だと聞いているのですが。」
「うん。僕もそう聞いているから着替え一式持って来ているんだよね。」
普通より少し長めの髪は宝探しで埃っぽくなってしまい、着物も同様だったので汚れを落としたいのだ。
これで帰らなければならないのなら仕方ないが、車が汚れてしまう。
首を傾げて考えていると、妙に沈黙していた室内の雰囲気が変わった事に気づく。
全員がお雑煮も食べ終えたのか瑞樹が立ち上がって微笑んでいる。
「去年も皆が頑張ってくれたお陰で不景気の中どの店も赤字を出さずに済み繁盛しました。今年も難しい年となるでしょうが、頑張ってください。」
瑞樹が安藤に目線を遣ると、盆の上に袋が載ったそれを各自の前に持って行って配る。
「ささやかながら私からのお年玉です。これからそのまま初詣に出かける面々も居るでしょうが、どうぞ気をつけて行ってきてください。それでは明けましておめでとう。今年も頼みます。」
譲達の所にも安藤がやって来て、お年玉を渡していく。固辞する宇治と木戸に笑み一つで黙らせて袋を握らせてから戻っていった。
それを見届けてから瑞樹の声が僅かに大きくなった。
「楽しい正月を過ごしてください。4日からの営業は通常通りお願いします。それでは解散!」
言い終えた瑞樹に面々は笑顔で一礼しながら去っていく。
宴の後は宝探しの間に片付けてしまっていたのかあまり散らかっていない。
「さて、譲さんは部屋に案内します。朝になったら初詣に行くのでそれまで休んでいてください。」
「はい、有難うございます。あと、お湯をお借りしたいのですが。」
「それなら部屋に備え付けてありますからご自由にお使い下さい。」
笑顔で促されて案内された部屋に行く。
珍しく宇治も木戸も付いて来なかったのだが、彼等も部屋に案内されているのだろうと思った。
「それでは朝になったら起こしに来ますので。」
水差しとコップを置いて去っていく安藤を見送ってから部屋の中を見渡す。
外は古い外観だったが、内部は大分手を入れているのだろう。床から冷気が漂って来ない。
シンプルだが作りのしっかりしていて尚且つ上品な木製のベッド。
既製品では無いと一目で分かる家具。
枕元のライトは和紙が貼ってあるもので、暖かい雰囲気を醸し出している。
ソファーや椅子は西陣織が布張りしてあり、衣紋掛けの正面には柔らかそうなカーペットが敷いてあった。
落ち着ける空間に眠気が襲ってきたが、それを抑えてから明日着る予定の着物を衣紋掛けに掛けて足袋と帯等も横に添える。
着ていた着物を窓の外に出て軽く手入れしてから持ってきた畳紙で包んで鞄に仕舞うと急いで風呂に入り、髪をざっと乾かしてから布団に入った。
元々眠気を堪えながら作業していた程だったので考える暇も無く睡魔が襲ってくる。
(雅伸さん、今何しているのかな・・・。)
最後にそう思ったのが最後に譲は眠りに落ちた。
その頃階下では。
「さて、譲さんは今頃夢の中でしょうし我々は今から忙しくなりますね。」
時刻は一時。
だが今日は元旦、外は人が大勢居る事だろう。
「出発は一時間後・・・で間に合うと思うか?」
瑞樹がソファーで緑茶を飲みながら提案すると、安藤が首を振る。
三河と日向はキッチンで片付けをしているのでこの場には居ない。冴口は・・・。
「そういえば冴口は何処に行ったんだ?」
先程から姿が見えない冴口に瑞樹は首を傾げた。
可愛い動作というよりそれすらも美しく優雅である。
「冴口は某所の餅撒きを取りに行ってきました。それを食べると今年一年よい事が起きるとか。」
本当は今年一年健康でいられるというものなのだが、それは、まあ愛嬌というものだろう。
「へぇ・・・・ってあそこは遠くないか?今から間に合うのか?」
「二時からだそうですよ。だから間に合うでしょう。ちゃんと五人分取ってくると言っていましたから。初詣から帰ったら縁起物の御餅を食べましょうね。」
笑顔で言い切って安藤は続ける。
「さて、出発は30分後がいいと思います。瑞樹は着替えているので良いとして、譲さんの着替えは任せてください。」
その言葉に異議を唱えたのは宇治と木戸。
「いえ、ですか!」
「安藤は着替えさせるの上手いぞ。寝ていても気づかない程だからな。」
そういう意味では無いのだが、瑞樹が口を挟む。
「ふふふ。瑞樹に褒めてもらえて嬉しいですよ。ご安心を。どちらか間違いが無いように後ろに付いていてくだされば良いだけの事。それとも譲さんを一切起こさずに着替えさせる事が出来ますか?」
「それは・・・・。」
安藤は綺麗に微笑んで手を打った。
「それでは急ぎましょう。」
木戸と宇治は互いに目を合わせてから宇治が行く事にし、木戸は車の準備をしに足早に歩き出した。
「さて。三河〜。」
「はい。」
手を拭きながら現れた三河に瑞樹は微笑む。
「お土産何がいい?それとも一緒に行く?」
「そうですねぇ。」
「宿は貸切だから人数増えても問題なし。」
目線を合わせて微笑めば三河も微笑んだ。
「ではご一緒させていただきましょう。」
「そっか。・・・・となると冴口を待って出発した方がいいのかな?」
「冴口さんはその当たりも分かっていたでしょうから彼は留守番ですね。」
三河だってこれから先の事を考えれば安藤の怒りを買うのは怖い。
「最初からそういうつもりだったのか・・・。まあ、あいつも忙しいだろうから正月位はゆっくりしたいだろうし。」
お茶を飲み干して立ち上がると瑞樹も二階に向かう。
「オーナー?」
三河が呼び止めれば瑞樹は苦笑した顔を向ける。
「着替えとかの準備、まだなんだ。」
手を振って上に向かう瑞樹に三河はため息を吐いた。
「三十分で間に合うのですかねぇ。」
呟いて、気づく。
「私も準備しなければ・・・・。」
自分こそ、三十分で間に合うのだろうかと心配になってしまう。
「日向、日向!」
走って厨房に向かうと、拭き上げた調理器具を仕舞っている所で。
「どうした。」
「オーナーが初詣に連れて行って下さるそうです。だから早く準備しないと!」
「俺は留守番しておく。」
あっさりと言った日向に三河は目を丸くした。
「どうして?私達じゃ滅多な事で泊まれない所に行くんですよ?美味しい懐石料理にお酒があるんですよ?!」
拳を握って力説するのに日向は見向きもしない。
「休みを取って行く事も出来るからな。まあ、行けばわかる。」
「はぁ?」
「ともかく俺は留守番する。寝正月も悪くない。・・・早く準備しなくていいのか?」
日向が行かないと言った理由は後で分かるのだが、今は準備という言葉に急いで二階に駆け上がる三河であった。
「譲さん、起きてもらえますか?」
囁く声に、これは雅伸さんの声じゃないなと思う。
荒川さんでも無い。彼はもっとあっさりと大きな声で起こすから。
「譲さん。」
雅伸さん程ではないけれど、深みのあるいい声だと感じながらうっすらと目を開けると視界一杯に宇治の顔があった。
「ああ、お早う宇治さん。」
「お早うございます譲さん、お休みのところ申し訳ありませんがゲートに入る時間ですので。」
「ゲート?」
「はい。」
頭を上げれば其処は見た事の無い風景が広がっていた。
「え?!」
慌てて上半身を起こすと寝起きざまに動いたのが悪かったのか、体が傾ぐ。
(落ちる?!)
だがそれは杞憂で、左側が強く支えられて起こされればこの状況が把握できた。
宇治の膝に抱えられたまま眠っていたらしい。
「ありがとう宇治さん。」
「いえ。・・・それより何に驚かれたのですか?」
宇治の質問はもっともで、瑞樹も安藤も不思議そうな顔をしている。
「えっと・・・それは。・・・・・・あの、此処ってもしかして空港ですか?」
「もしかしなくても空港ですよ。」
あっさりと答えたのは安藤。
安藤と瑞樹の手には珈琲が入っているらしき紙コップが握られており、瑞樹はそれを飲みながら正面にある掲示板を眺めている。
「そうなのですか。空港ってもっと人が多いと思っていました。それにお店が閉まってますけど・・・。」
周りを見渡すと歩いている人は僅かでみやげ物屋らしき店も大分閉まっている。
「それは早朝だからですよ。9時を過ぎると騒がしくなります。まあ、正月はラッシュが始まるまで結構空いているでしょうけどね。」
「へぇ。」
空港というのはテレビで見る限り常に忙しいものだと思っていたのでこの早朝の風景は逆にとても特した気分になった。
「明日の午後以降は混雑しているでしょうから人が大勢いる空港が見たければ帰りに見学して帰ればいいですよ。」
瑞樹が優しく諭して手を差し伸べる。
その手を借りながら立ち上がると木戸が飲物を渡してくれ、それを飲む。
朝、必ずと言って良いほど飲むのは野菜ジュース。
あまりメジャーでは無いのに冷たいそれはわざわざ家から持ってきたのだろうか?と首を傾げる。
譲の疑問を察した木戸は持っていた袋を掲げて見せた。
「空港には薬局もありますから。」
つまりマイナーなものでも割とあるらしい。
「そうなんだ。」
関心しつつ頷いてからはた、と気付く。
「どうして空港なんて行くの?」
その問いには瑞樹が答えてくれた。
「目的地が飛行機に乗った方が早いから。それにせっかく初日の出フライトに乗れるのだしね。朝一番の飛行機なんだよ。だから・・・」
安藤に目線を遣ると安藤はカップを二人分ゴミ箱に捨ててから笑顔のまま譲の背中と脚を抱えて立ち上がり歩き出す。
「ゲートは一人で歩いてもらうけど、それまでは皆が抱えていくから。」
実にあっさりと言われた言葉に譲は首元まで赤く染める。
「えっ?!いいいいいいです!歩けますから!降ります!」
反射で安藤の胸元と肩に手を置いていた自分の腕を慌てて外して降りようと努力するが安藤は見た目と反してかなり力が強かった。
「落とす心配はありませんから大丈夫ですよ。それに此処まで宇治さんが抱えて来たのですから今更です。昨日無理をしたから脚が痛むのでしょう?」
笑顔で言い放ってから物凄いスピードで歩く安藤に譲は慌てて手を肩に回す。
「安藤さん。」
「はい?」
この笑顔は鈍い譲でも分かった。
「心配だというのは建前で、楽しいでしょう?」
「ええ、勿論ですとも!本来なら車椅子を用意すればいい事です。瑞樹は人前でこんな事絶対に!させてくれませんから練習になりますしね。」
・・・語尾に何か記号が付いている様な台詞に譲は観念して首を下げた。
チケットは既に手元にあるらしく、そのままゲートを潜る。
検査官の前で降ろされた譲は恥ずかしくて仕方なかったが、眉一つ動かさず事務的に対応されたのがせめてもの救い。
木戸に渡された荷物を検査官に渡して門みたいなものを潜ると何事も無く荷物を受け取る事が出来たので、内心あの門は何であるんだろうと不思議に思った。
瑞樹の後に安藤が通り、それぞれに荷物を受け取ってから宇治と木戸が通るのを待つ。
宇治も何事も無く通過して荷物を受け取る為に台の前に居たのだが。
いきなりけたたましい音がなって文字通り譲は跳ね上がった。
「お客様、小銭や鍵、バックルの付いたベルト等はお持ちでしょうか?」
丁寧・・・というよりは機械的に尋ねられている木戸をハラハラしながら見守る。
その後ろで安藤がしゃがみ込んで悶絶しかけているのを知っているのは瑞樹だけだ。
(瑞樹!私はもう駄目です!我慢出来ません!)
譲の驚き様とその眼差しが坪に嵌ったらしく屈んでいる背中が震えている。
(我慢しろ。譲さんに失礼だろう。始めてのようだから色々と驚いているだけなのだから。)
(いえ、でもだって・・・!!くくくっ!お腹が捩れそうです!)
こんな会話が小声で行われているなど気付きもしない譲は呟いた。
「木戸さん、捕まるの?」
確かに捕まっている。だが、譲がその意味で言ったのでは無い事は明白。
「違います。金属探知機に捕まっているだけですから。」
「え、やっぱり捕まっているんじゃ・・・。」
後ろに控えている町の警察官と似た服を着ている男性を見ると微笑み返してくれたがそれ所ではない。
「木戸さん!何か悪い事したんですか?!僕が雅伸さんに言って」
釈放してもらいますから!と続きを言う前に瑞樹が譲の口元を塞ぐ。
「はいはい。木戸さんは唯金属を沢山付けていたから検査しているだけだから大丈夫ですよ。だからそんな不吉な事は正月早々言わないで下さい。」
ちなみに安藤は床に突っ伏している。
小銭入れを忘れていたのが原因だったらしく、無事検査を終えた木戸は少し引き攣った顔をしながら譲の前に立つ。
「良かった。何事も無くて。」
「・・・・・・・・いえ、ご心配お掛けしました。」
色々と言いたいことはあるのだろうが、自分の上司の恋人に文句を言うなど許されない事なので木戸はぐっと我慢する。
基本的に譲は我侭を言わず勝手に行動したり人を振り回す事は無いのだが、温室栽培されたかのように世間一般の常識や見識が無いに等しいので意外な反応を見せる事が多々あるのだ。
検査されて戻ってくる荷物を待っていると横から検査官が声を掛けてくる。
「お客様、出発のお時間は何時ですか?」
トランシーバーを持った綺麗なお姉さんが近づいてきた。
「5時5分関西空港行きです。」
あっさりと答えた安藤の言葉に譲は思わず後ろにあった時計を見る。
現在時刻、4時55分。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
お姉さんがトランシーバーに向かって何か言うと走り寄って来た。
それからチケットを確認した後笑顔を張り付かせて説明をする。口調は早いが聞き取りやすい声で。
「出発時刻15分前を切っておりますし、関西空港行きのゲートは此処からですと遠くなります。走っていただきますので皆様お急ぎください。」
荷物を受け取った木戸はそれを宇治に渡してから一瞬にして譲を抱える。
「木戸さん!だから走れます!」
その抗議に宇治があっさりと却下をだした。
「先程から脚を若干引き摺っています。今日は寒くなりそうですし、初詣にも行くのですよ?」
言い終えると同時に全員で走り出した為に譲は口をしっかりと閉じて木戸に捕まる他は無かった。
そうして一応は時間内に飛行機に乗って着席する事が出来た。
抱えられてきた譲をスチュワートの人が心配して声を掛けてきたので宇治が手早く説明すると毛布を持ってきてくれる。
当然席はスーパーシート。(国内便でのファーストクラス。名称は各航空会社によって違うが某国内大手がこの名称なので。)
広い座席の隣は宇治で、あれこれと世話を焼いてくれた。
飛行機が飛ぶ瞬間の独特の浮遊感を感じて、飲み物を飲んで。
「楽しいね。」
子どものようにはしゃぐ譲に宇治は色々な事を話してくれる。
その話を聞きながら日の出というより太陽を見て。
羽田空港から関西空港までのフライトはとても短い。
あと十分程で到着するというアナウンスに、もっと乗っていたいという顔をした譲に対して宇治が提案する。
「社長にその事を言えば今度は北海道にでも連れて行ってくれると思いますよ?それか海外。ヨーロッパのフライト時間は長いですから退屈しそうですけどね。」
宇治の提案はとても良いものに思えて、前々からお年玉は何がいいか考えるようにと言われていた譲はそれをお願いしようかと思った。
あっという間に到着して、感想や楽しかったという事等を話しながら到着ゲートを潜ると。
其処には部下を数名従えた椎原が立っていた。
「雅伸さん!」
脚が痛むのも無視して走り寄れば強く抱きしめてくれる。
「明けましておめでとう譲。始めての飛行機は疲れただろう?」
肩に顔を埋めて抱きついていても、椎原が微笑んでいる事は分かってしまう。
優しい声。馴染んだ体温、そして何よりこの存在感。
(雅伸さんだ・・・。)
忙しかったとはいえこの頃触れられなかった寂しさは自分でも思っていたより深かったようで。
「明けましておめでとう雅伸さん!逢いたかったぁ。」
嬉しくて嬉しくて、譲は此処が何処だかも忘れて唇を重ねた。
いきなり抱き付いて来た上に公衆の面前でのキスをされた椎原はとても驚いたが、それ以上に嬉しかったので触れるだけだった唇を開かせて深く重ねる。
「・・・んっ。」
本当に逢いたかったのだと全身全霊で伝えてくる譲に益々愛しさがつのった。
(年末は忙殺されて忙しかったが、正月早々こんな良い事があるとは・・・ついているな。)
本心を言えば思う存分口付けを楽しみたかったのだが一応此処は空港で公衆の面前で、更に言えば部下と連盟を組んでいる組長まで居るのだ。
心の底から名残惜しいが、口付けを解いて譲の顔を見る。
ほんのりと赤い顔と潤んだ瞳が例えようも無く誘っているように見えてしまう。
「なんだ、もう終わったのか。」
後ろからからかいの声が掛かり、其処でようやく譲も公共の場だという事を思い出したらしい。
首まで赤く染まる。
「純情な子だな。」
慌てて椎原に抱きつくが、逆効果だったようで壮年の男二人に笑われてしまった。
「すみません。人馴れしていないものですから勘弁してやってください。」
言葉遣いで譲は目の前の人達が椎原より上の人なのだと理解した。
今度は青くなる譲に椎原は眉を寄せて頬に手を添える。
「どうした?何処か悪いのか?」
だが、後ろの壮年の男達は笑ったままなので、譲が青くなった理由を理解しているようだ。
「気にする事は無いぞ。今日は正月だしな。」
豪快に笑いながら部下を従えて歩き出す。
「会長、譲さんは昨日の夜外に2時間程出ておりましたのでそのせいかと。」
宇治が横から言うと、椎原は眉間の皺を更に深くして軽々と譲を抱えて歩き出す。
「おお、甘やかしているのだなぁ。」
からかいの声にも椎原は淡々と返事を遣した。
「譲は脚が悪いので無理はさせられないだけです。」
例え偉い人でも譲る事の無い椎原の態度に譲はぼうっっとしてしまう。
「ん?譲、熱でもあるのか?」
それを体調不良だと勘違いした椎原が心配そうな顔で覗き込んでくる。
「ち、違います。あの、その・・・・・雅伸さんがかっこいいなって思って・・・・・。」
「譲。」
「雅伸さん。」
二人の世界に入ろうとする譲と椎原を止めたのは瑞樹。
「はいはい!此処は一応公共の場!こういう事は控えてもらえませんかね。いくら会うのが久しぶりだからと言って此処でラブモードに突入するのは止めましょう。」
ちなみに安藤は笑いを堪えるのに必死で役立たずと化している。
譲は再び顔を赤くして椎原の胸元に顔を隠しながら謝罪した。
「すみません・・・。」
その様子は花が恥らう様に似ておりとても可愛らしい。
「譲。」
椎原が甘い声で囁くのを聞いた譲が顔を上げた瞬間、また止めが入る。
「だから、初詣が終わってからにしろと言っただろうが!」
壮年二人組みと安藤は笑い続け、宇治と木戸はどうしていいか分からないように戸惑う中、ようやく譲は椎原の腕の中から降りる。
「雅伸さん、脚は大丈夫だから早く車に乗りましょう?そちらの方もご迷惑をお掛けしてすみませんでした。」
裾を整えてから謝罪する譲に壮年の二人組みは笑顔で頷く。
「まあ、出歯亀をしに来たのだから気にする事は無い。」
「そうだな。」
そうして部下の人たちに促されながら車に乗ったのだった。
車は走り続け、着いた場所は。
「伏見稲荷大社?」
だろうかと思う。
何せ遠出といえばある人に付いていった場所、つまり海外やその人の別荘等しかないからだ。
「ああ。いちおう会社も経営しているから此処は外せないだろう?」
後部座席に椎原と譲、助手席と運転席には椎原の部下が乗っている。
瑞樹達は別の車だ。
「そうじゃなくて・・・。」
眉を下げる譲に椎原は頬に手を当てて微笑む。
「京都、行ってみたいと思っていただろう?」
言った事は無い筈だった。
だが・・・。
「え・・・。」
頬を染める譲に椎原は簡単な種明かしをした。
「中学の時と高校の時の修学旅行が京都だったんだろう?でも参加できなかったと言っていたからな。」
その時の表情で、と続ける椎原の手に譲は自分の手を添えて握る。
「雅伸さん・・・・。」
嬉しくて涙が溢れそうになっている眼に手を遣り、涙を掬い取ってから悪いな、と言葉を続ける。
「どうせなら初詣に連れて行ってやろうと思ってこうしているが、職業がこうだから三社参りとはいかない。まともな観光も無しで悪いと思う。だがオフシーズンだったら人も少ないしまた来れるから・・・。」
言葉の途中で首に手を回してきた譲に椎原は苦笑する。
「お前は何でも喜び過ぎだ。」
宥める、いや、愛撫の様に背中を撫でる感触に気持ちよくなりながら譲は首を振って否定した。
「雅伸さんが僕を喜ばせるのが上手なんですよ。」
僅かに混じった涙の声に椎原は顔を上げさせて流れる涙を舐め取る。
「そうか?」
「そうです。」
「俺はお前が嬉しいならそれでいいからいいだろう?」
「でも僕は雅伸さんや皆さんの安全を優先して欲しい。それ位の覚悟はありますから。」
嬉しくて綻ぶ顔とは別に決意を秘めた瞳。
その表情に椎原も同じように顔を綻ばせた。
「可愛い事を言う。」
両方の頬に口付けしてから額、鼻、顎と続き顔を覗き込むと譲の唇が誘うように開かれる。
そのまま唇を重ねる。
重ねるだけのままごとの様な口付け。
だが、それすらも譲は嬉しくて口元は綻ぶ。
その微笑む様に一足早く春が来たようだと思った椎原は再び口を重ねる。
今度は深く。
優しく囁くように。
自然シートに体が倒れる譲と一緒に体を傾けながら甘露を思う存分味わう。
指を一本ずつ重ねて想い合い、深い充足感と快楽を分かち合い。
口の中は何処も甘く、椎原を包み込む様に優しい。
だが。
譲が無意識に少しだけ膝を立てた時に、いつもとは仕草の違う脚に気付いた椎原は口付けを解く。
その瞬間、前方から溜息が漏れたがそれ位の事は気にしない。
「・・・・・雅伸さん?」
潤んだ瞳で見つめる瞳にもう一度深く口付けたい衝動に駆られたが其処は我慢をして自分の膝の上に載せる。
「譲、無理をするなと言っただろう?」
咎める眼差しで言えば肩口に頭を寄せて呟く。
「だって。」
「だって、何だ?」
未だ潤みを残した瞳で椎原を見上げて懐から封筒を取り出して渡した。
目線で促されて明けてみれば驚く内容が書かれている。
「譲、これは・・・。」
「雅伸さんが喜ぶかと思って。」
駄目?怒る?と瞳で問われては怒れる筈も無く。
「まったく・・・・。」
笑って抱きしめれば背中に腕が回された。
「だが、脚を痛めるまで何かする必要は無い。それはわかってくれ。いいな?」
「うん。これからは気をつけます。あ、宇治さんと木戸さんは怒らないでね?二人ともずっと止めていたけれど僕が無理やり押し通しただけなんだ。」
お願い、と付けられれば示しが付かないと分かっていても頷くしかない。
「わかった。」
頷く椎原に譲は再び口元を綻ばせて春を見せてくれたのだった。
周りが人が多いために、少し待ってから車から降りると瑞樹達はとうに降りて待っていたらしく苦笑しつつ迎えられた。
「相変わらず仲の良い事で。」
先ほどの壮年2人と共に並んでいた瑞樹が歩み寄り、カップを渡される。
「甘酒でも飲みながら行けば体も大分ましだと思うよ?」
ゆっくりと鳥居の中を歩きながら談笑してみると、壮年の二人は思ったほど怖い人物では無く豪快に笑ってくれる人だった。
「あの、中村さんは亢竜会の中村さんと血縁関係なのですか?」
「ああ、俺は五条会の幹部だが、親父が同じだな。俺の方が兄貴になる。」
「そうですか。中村さんにはいつも良くして頂いています。」
「あいつは面食いだからなぁ。」
かっかと笑う顔は似ていても仕草やその他は全く似ていない。
本殿まで行き、お参りを済ませてから千本鳥居を潜り奥社奉拝所を参拝してから戻る予定。
一ノ峰まで行くのは譲の足が痛むだろうと思ったから椎原が事前にそう言っておいたのだ。
知れば行きたがるのは分かっていたが、機会があればまた連れて来てやればいいと思う。
「雅伸さん?どうしたのですか?」
人前では丁寧な態度を崩さないが、二人きりの時は砕けた態度を取る事もあるので逆にこの丁寧な態度が清楚な色香に合ってそそる、と参拝中なのに不謹慎な事を考える椎原であった。
「いや。」
「そう、ですか?」
それきりあまり話さずに寄り添うようにして歩く。
その少し後ろでは壮年二人と瑞樹と安藤が笑いながら歩いている。
「あ〜あ。一応人前だからあの程度なのでしょうが、物凄く雰囲気でてますよねぇ。」
溜息を吐きつつ笑えば安藤も笑って頷く。
「お二人は何か飲まれますか?」
手には甘酒。既に二杯目だが瑞樹は以外とこんな風に食べ歩きが好きなので美味しそうなものを目敏く見つけては購入し差し出しているのだ。
「いや、戻ったら宴席だから俺等は遠慮しておこう。二人とも参加するか?」
一応堅気の二人は互いに目を合わせて微笑む。
「どうしましょうかねぇ。でも宿は決まっていますし、今日は連れも居ますから。」
一応瑞樹の連れは三河である。
「安藤はどうだ?」
「私も一応待ち合わせた相手が居りますので。」
優しげな風貌を微笑ませて言う安藤の待ち合わせ相手は常に瑞樹の同情を買っている吾郷だ。
だがそれを知らない壮年組はかっかと笑う。
「なんだこれと待ち合わせか?」
曖昧に笑う安藤に瑞樹は別の話を振る。
「歳旦祭はみれなかったから来年は泊まりで来るか?」
「そうですねぇ。」
時刻は既に11時を回っており、人も大分減っている。
本殿前に到着すると全員が横に並んで参拝した。
どの顔も真剣である。
(雅伸さんが今年一年元気で過ごせますように。皆が怪我も無く過ごせますように。)
これは譲。
(家内安全商売繁盛。・・・・もう一店オープン出来ますように。)
(瑞樹とまた共に居られますように。商売繁盛!喰いっぱぐれの無いように。)
上は瑞樹と安藤。 安藤のは多少不謹慎。
壮年二人組みはまあ、至って普通。
家内安全商売繁盛。
お稲荷様なのだから当然である。
そして最後に椎原。
(家内安全商売繁盛。譲が喜ぶ一年になるように。)
自分よりも相手の事を願う二人は相変わらず熟年でもラブラブのカップルのようだがそれはまあ、良い事である。
「さて、千本鳥居を観たら帰ろうか。」
顔こそしかめていないものの、譲の足が限界に近い事に気付いた椎原は観るだけにして帰る事にした。
「ごめんなさい。」
「気にするな。目的はこれだったんだから。」
頭を撫でながら壮年二人組みに頭を下げるとまたしても笑われてしまう。
「本当に可愛がっているのだな。」
「・・・・・ええ。」
これ以上笑われては譲が気にするだろうと黙々と歩いて鳥居の前まで行く。
「これが・・・。」
譲が感嘆の声を上げて見上げるのを観る椎原、それを観察する壮年二人組、更にその後ろに瑞樹と安藤が立っていた。
ちなみに安藤は未だに笑い続けている。
「安藤!不謹慎だろう。いい加減にしろ。」
小声で促す瑞樹の言葉に従い自らの腹部に力を込めて拳をめり込ませて笑いを止めたのだが痛みで地面に膝を付き、蹲っている。
瑞樹はそれを横目で見ながら椎原達を眺めて溜息を吐く。
「さて、どうせ二人はこのまま返るのだろうからこっちはこっちで楽しむとするか。三河と合流して平安神宮でも行く?」
蹲ったままの安藤に問えば頷いたので壮年組二人に小声で此処で別れるという事を伝えてその場を後にする。
そうして壮年二人組もこれ以上傍に居れば馬に蹴られるだろうと判断して、椎原の部下に自分達と瑞樹達を伝えさせて来た道を戻っていった。
椎原はそれらの光景を横目で見ながら譲を促す。
「さて、俺達も帰ろうか?」
これ以上居ては脚の痛みが益々酷くなるだろうと心配する気持ちが顔に出ていたようで譲が可愛らしく微笑んで頷いてくれた。
「有難う雅伸さん。」
「ああ。」
「今年も、来年もそのまた先も一緒に過ごせるといいね。」
一抹の曇りも無い言葉に椎原も心の底から頷く。
「そうだな。此処にもまた来よう。今度はお座敷遊びでもしてみるか?」
来た道を戻りながらそんな楽しい会話を続けた二人は暖かい気持ちのまま自宅へと戻っていったのであった。
ちなみに。
「取ってきましたよ!!!!!!餅!」
冴口がよろよろしながらボレロの裏口を開けると日向が出迎えてくれた。
「おう。お疲れさん。」
日向の気持ちを嬉しく思いながら乱れた髪をどうにか整えながら頬を染めて瑞樹を探す。
「瑞樹さんは?!」
日向は目線を逸らしたが、冴口はそれに気付かない。
家中を回って戻ってきた冴口にお屠蘇を差し出しつつ横に御節を並べる。
「一応自信作だ。」
「あ、有難う。・・・・・それで、瑞樹さんは?」
日向は自らの手元を見ながら出来るだけ感情が篭らない様に話した。
「・・・・京都へ初詣に。」
冴口はその言葉に安藤の復讐を悟る。
「あ〜ん〜ど〜う〜!!!!!!!!!!」
持っていた箸を真っ二つにしながら鬼の形相になってしまった冴口を見て日向は溜息を吐いたのだった。
おわり
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